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アムステルダム

アムステルダムは初めてだ。だから音声録音の仕事があると聞いた時に喜んで賛成した。
僕が前に役者として参加した映画で漫画家志望のブロンドが東京のクラブで働いていると
いう話だ。ロッテルダムには子供の頃友人が住んでいて、時々遊びにいっていた。近くに
スケベニンゲンという海岸があり、遊びに友人の親が連れて行ってくれた。ここの海岸は
名前とは反して普通の海岸で、海に入るとせいぜいクラゲにかまれるのが関の山だった。

ひさしぶりのオランダ。よろこんでICEにのった。国境を越えた直後電気システムが完
全にアウト。電車に缶詰状態。さて、電車の駅員達はオランダの駅に列車ごと引っ張るべ
きか、ドイツの駅に引っ張るべきかと討論していたかどうかは分からないが、止まったき
り動こうとしない。「きっと、対策を考えているんでしょう。でも今昼飯時だから、きっ
とコーヒーの後にしようとでもいう会話を交わしてるんじゃないですかね。」等という会
話を机を囲って座っているカップルと一人の女性とする。

2時間後に電車は走り出す。逆走している。小さな駅に入ると、2時間後に走る予定の電
車が待機していた。スタジオには3時間半送れで到着するだろうと伝えてた。さて、アム
スでタクシーに乗る。スタジオに落として貰う。そのスタジオはワーナー・スタジオでは
ない。違うスタジオだ。しかし、人に聞くとそこから歩いていけるという。僕はでかい
ワーナー・スタジオを連想して探すが全く見当たらない。20分程さ迷ったあげく見つ
かった。名前は有名なワーナー・スタジオではなく、よくよく見るとワルニエー・スタジ
オと書いてある。悪いねー、悪煮と書いてある内装も裸状態の小さなスタジオ。急な階段
に手すりがない。

ある日本人の声の代理を録音するという。理由は、日本人として起用したエキストラの殆
どが、日本人でないため、彼等の話す言葉を僕が代理するという状況だ。これを、2人分
やれと言われてた。しかし到着早々、ユウという曲を聴かされ、これをカラオケで歌って
くれという。知らない曲をいきなり歌えといわれても困る。ただ他人の歌っている姿に自
分の声が乗るわけで結構どうでもいいわけである。自分の歌声がスクリーンで流れるチャ
ンスだとも言える。曲を暗記した。30分程練習をした後に録音が始まった。「ああ、悪
くないねー。いいや、いいよー。じゃ、もう一曲行こう。」「えっつ?」「ああ、練習
5分、その後録音。」「5分?」「駄目?」「うーん。。。」「カラオケシーンだからい
いんだよ。皆よっぱらてるんだから。」という事でもともと英語の歌に日本語を入り混ぜ
たり、いろんなバリエーションを録音。「じゃあ、最後に、日本語の歌。これさあ、なん
か方言かなんかで歌ってくれない?」「うーん。じゃあ、関西弁というのがあるんだけ
ど、それで行ってみます。」「そう?いいねえ。それで行こう。」この2曲目と3曲目は
後から知ったんだが、プロダクションのヨッヘンが作曲したという。プロダクションがこ
の映画の音楽まであまり金が回らないという事で、ヨッヘンが残りの曲を作曲したとい
う。早く言ってくれれば、誰も知らない曲と知っていれば、もっと適当に歌えたのに。で
も、かなりリラックスして歌ってます、なんと言っても映っているのは僕ではないの
だから。オペラ歌手の友人に最近手ほどきを受けたばかりだったので調度よかったのかも
しれない。しかし、知らない曲を3曲を3時間で収録してしまうとは。。。その間に映画
の会話も一部録音した。どの程度のレベルの物が出来たかちょっと興味深い。その晩はア
シスタントのピア、オベルグ監督、パンドラフィルムのヨッヘンとアムス市内に繰り出
し、インド料理をご馳走になった。12時にホテルに戻った。



スタジオの控え室。コンピューターを手に持っているのが監督。

二日目の予定は観光。だった。しかし、ついでならと、残りの日本人の声も録音してくれ
と頼まれ、一人で20人近くの声を担当している。20人。自分も映画に出ているから
21人か。配達員の声、ラジオで政治経済論を解くアナウンサー、ホステスとの会話、眠
れる美女を見たお兄さんが呟く言葉等等。後半はもう殆ど性格分裂症気味だった。



スタジオからの景色。夜は綺麗。

結局スタジオを出たのが2時。昨日は晴天だったのに、今日は雨。アムス市内までタク
シーに乗って、町中をぶらぶらしてから19時のICEに乗ってフランクに戻った。

録音の際、映画のカットを見ることが出来たが、ローバジェットでありながら、かなり出来のい
い映画になりそうな気がした。



これアムスの便所です。試して見ましたが、なかなか
裸で公衆の前で事をすませているようで、落ち着きません。

この映画のケルンでの撮影状況。