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撮影日誌 2002年 5月15日―19日


Pictures

キャプテン・フォトン 「死の流星」の巻き

車でシュトゥトゥガルトまで役2時間かかる。アウトバーンを飛ばして南へ向かう。最近仕事には電車での移動が多かったので飛ばすと緊張する。一車線にやたらと余裕な幅を持ち一方向に4車線もあるアメリカ。たった100キロでのろのろとハンバーガーを食べながらカップホールダーに置いてある右手のコーラか左手のコーヒーのどちらを飲もうかと迷ってるアメリカの運転手。カップホールダーの数でインテリアを競うアメリカとは自体が違う。アウトバーンの車線はそれから比べると狭い。工事中だったり、3レーンから2レーンになる所も多いい。トラックが片方をふさいでいる。後ろからはステーションワゴンが急にどこからともなく現れる。ステーションワゴンが結構難物である。だいたい急いでいてイライラしているセールスマン等が運転している。「おらおら、時間は金だ。」と言った感じである。メーターはすでに190。アキュラをなめんなよ、なんて事は考えない。到底アキュラ。アメリカ仕様の車である。さっさと道を開ける。つまり車線変更が多く疲れる。2時間後、シュトゥトゥガルトの手前のルードビッグスブルグでアウトバーンを降りた。シュテゥットガルトは工業都市であるが、映画大学が幾つかある。

ドクターダルクめ。捕まえてやる。ところで酒はどこだ。

町に入って少し程迷ったが、住宅地の中に工場のような建物があった。中に駐車する。すると、妙な黒い短パンを履いた兄ちゃんに、長髪の赤毛に3cm程もある顎鬚に黒いホラー映画のプリントTシャツを着た男と妙に大人しい優男がいた。だれかが「ユウキか。」と言った。どうやらここで間違いはないみたいだ。短パンの男は役者、その他二人はこの映画の監督、著者、プロデューサー、カメラマンを受け持つ二人組みだった。駐車場の窓からスタジオの地下室に侵入する。そこから宇宙船のセットを通過し廊下をあるいて控え室に行った。そこにはもう一人短パンを履いた男がいた。この短パンは実は彼らがたまたま持参してきた海水パンツで体にぴったりとフィットする物である。それに幅の広いベルトにTシャツ。上着にはパイロットジャケットらしき物を着ている。「どう、その履き具合は?」と僕はいきなり、知り合ったばかりの短パン兄ちゃんたちを攻撃した。「いやあ、まあ、そうだな、うん。下にもう一枚パンツを履いてごまかしてるんだけどね。ほら撮影上もそのほうが写りがいいんだよ。」なるほどとしか言いようがない。この分だと自分の衣装はいかに。

ダルコニアへ向かう。地球に突入している流星を止めるのだ。

彼らはもともとは長いズボンで撮影する予定だったらしいが、オリジナルの白黒SFフラッシュ・ゴードンでは確かにキャプテンとその隊員は短パンを履いていた。大人しいカメラマン・ベル二―を除いた3人は短パンのセクシーな外観を長ズボンに優先し多数決で撮影寸前に決めた事らしい。フラッシュ・ゴードンとは30年台に出来た宇宙物語の元祖中の元祖であり、それに対してのホマージュという所だろうか。パロディーとも言えるかもしれない。1980年に既にパロディーが出ている。当時全盛期だったクイーンがサウンドトラックに参加していた。試着が始まった。化粧担当のアストリッドとベル二―の妹のウルは僕にダンボールで頭を飾る一種の悪魔の王冠のような物を作り出した。実際に当時フラッシュ・ゴードンの物に似た感覚で映画を製作するというのが特徴である。撮影は白黒、ロケットは紐に伝って宇宙を舞いとび、火花は花火の物である。前に彼らが撮った映像を見たが、ロケットが急に花火で加速し、紐の周りをグルグル回ってしまったり、金魚のように宇宙を放浪したり、奇妙な撮影だった。

見えました。ダルコニア星が。

彼らは午前中すでに山の岩場で宇宙船の不時着のシーンを撮ったという事だった。しばらくすると捕虜となるべくジェニーの役を担当するモデルのマリカが来た。わざわざベルリンから来て貰ったのだった。宇宙船の物語にピッタリの金髪に目が青いデンマーク人だ。そういえばMTV のテレビコマーシャルを撮った時の上司役のモデルもデンマーク人だったなあ。(姉妹だった。) 夜11頃に宇宙船内のキャプテン・ジャック・フォトン(アンドレー)とジム(フランク)の撮影は終わり、僕用の悪魔の王冠らしき物もできてきた。皆で食事をしにマーケット・ホールへ向かった。そこにはなんとバイヤー・レェバークゼン対レアルマドリット戦がやってるではないか。大スクリーンがこのイベントのために設置されていて、満席だ。UEFAカップの決勝戦である。バイヤー・レェバークゼンはもう少しという所でどうしても点が入らない。チャンスがある度にレストランが連なるこのホール内にため息がながれる。レストランの食事用のテーブルは画面から離れているため空いているが、ここからだと見にくい。ハインツェと僕は二人でスクリーン近くに行った。どうやら残りはあまりサッカーに興味がないらしい。ドイツ人だって皆サッカーが好きな訳ではない。結果的には2対1の負けだった。残念無念。ピザを食べてからハインツェの車で彼の実家へ向かう。彼の家に役者アンディーと一緒にお世話になる事になった。

スプラッター・ハインツェとアンドレーらは家についてから又ビールを飲んだが、僕は運転のためか、眠く、先に失礼した。翌日はハインツェのお母様が用意してくれた朝食を頂いて、パンとハム、オレンジジュース、コーヒー(これがうまかった)を食べてから出発。ハインツェのご両親に挨拶してから家を出、映画大学へ向かう。化粧担当のアストリッドが他の撮影と掛け持ちしているからだ。アストリッドは12歳の頃から国立劇場で化粧の手伝いをしているというベテラン。しばらくすると次第に僕の顔にジンギスカンの髭が取り付けられ、様相も犬猫子供が泣いて逃げ出しそうな顔つきになっていた。日向ぼっこしている学生が何人も覗きにきた。何も外の広場で化粧をしなくてもいいのに。我々の監督達は大学教授に映画の進捗の報告に呼ばれていた。

あれがドクターダルクの城に違いない。

車に乗って今度は撮影所へ。髭が痒い。しかし、かいてはいけない。化粧を直して貰えないからだ。アストリッドは夕方まで戻って来れないらしい。スパゲッティーを大学で食べたが、髭について非常に食べにくかった。髭とパスタとトマトソースが口内で戯れた。何本か髭を食べてしまった猫のようにウールボールを吐き出すべきか。髭を最後に綺麗に昼のメニューから開放する。髭はまだ無事についていた。髭が痒い。スタジオでは辛抱して待つだけだ。僕の撮影が始まったのは夕方の5時頃か、ジェニーを捕虜にした所のシーンだ。透け透けドレスはきっとハインツェが選んだのだろう。短パンコンビの彼らもどうしても目が行ってしまうと嘆いて?いた。我がドクターダークのダルコニア星の研究室に使用したのは巨大なボイラー室だ。これにセットを持ち込みかなりの雰囲気をかもし出していたが、ちょっと埃っぽい。髭が痒い上にクシャミが出る。

へなちょこキャプテンフォトンめ。もうわしの罠に掛かりよった。ワハハハ。

撮影が終わったのは夜中の12時だった。皆でああだ、こうだとやっている内にどんどん新しいアイディアがでてきて、新しいキャラクターまで入れてしまったりしたからだ。プロのプロダクションだともう全て決まっているが、学生のプロダクションなら我々も好き勝手言えるから面白い。皆のブレインストーミングが始まるのだった、これは脚本が良かったため、かえっていろんなアイデア沸いてきたと言えよう。インターネットで応募してから、ビデオのデモテープを送って役が決まったのは3週間前。脚本のためか、このプロジェクトにはベルリン、ケルン、ミュンヘン、等各地から役者が集まった。わしは闇と暗雲を行き来する怪しげなダルコニア星の支配者。不気味な笑いでその世を渡る、地球の危機を誘うものだ。ワハッハッハ。赤毛のハインツェはやたらと新しいアイディアを取り入れたがり、慎重なベル二―は首を傾げて口元で笑ったり、口元を曲げたりして彼の意見を示した。両極端な二人だった。

撮影終了後我々はベル二―の妹ウル(彼女は優秀なミュンヘン大学の経済学の学生)が高校時代によく行ったというバーガーキングへと向かう。その後疲れて皆ダウンしていたが、大学の新入生歓迎会があるというのでシュトゥトゥガルト市内のクラブへ車を飛ばす。さてこの大学、実は映画の数少ない有名大学ではなかった。撮影場所はルドウィックスブルグだったが、大学はエスリンゲンにある私立。それも写真が主で、映画はマイナーな分野だ。その分大学にはグラフィックデザイン等を専攻している人が多かった。お嬢様も多かった。それを知ってたか知らないが、ジャックことキャプテンフォトンはクラブにどうしても行きたさそうだった。ジャック(アンドレー)は一時ミーハーなテレビ番組ウンター・ウンスで売れてた事があり、結構ファンがまだいてちやほやされる。クラブの内部よりも入り口で酒を飲んでいる者が多かった。昼、大学で化粧した姿を見た者は僕の方を見ては挨拶をしてくれた。「おー。アレだろ。アレ。随分変わるものだなあ。」都会の夜の風が気持ち良く車のヘッドライトが時々流れる路上の市電の線路を照らし上げた。その場を去ったのは2時だった。ハインツェとジャックは家に着いてから4時まで飲んでたが僕はまた途中で抜けて寝た。

朝は先日より30分遅い10時に朝食を取る。今日ほとんど重要なシーンが撮影される。化粧に時間をとられるが、かなり効率良く仕事は進む。台詞の多いいシーンは箱に収まった。今日も夜12時頃に修了。皆疲れていて、お開きとなった。僕は髭のためあまり食べていなかったので、誰かが昼に残した北京ダックとライスをかき込んだ。ハインツェはあまり食事を取らない。彼の栄養源はどうやらラードラーのようだ。これはビールとレモネードの混合ドリンクで2%程のアルコールを含んでいる。彼はこれを一日に500ccのビンを3、4本飲みアドレナリン・トリップしている神経回路を落ち着けているという。たしかに充分エネルギーは採れそうだ。小麦、大麦、糖分とイースト菌の混合エネルギードリンク。

ハインツェの家はどうだと映画大学の学生何人かに聞かれた。聞かれたと言うか、えっ、そんな所に泊まってるの?という驚きに近いかもしれない。血飛沫の飛ぶ映画を多く撮った彼はカオス・スプラッター(血が飛び散る映像)・ハインツェという異名を持つが、彼の部屋と車を除けば、綺麗なドイツの典型的家に住んでいる。ご両親もごく感じの良い、ドイツ家庭の人だ。お母様は毎朝朝食を我々3人に用意してくれた。お父さんが銃を集める趣味を持っているのを除いてごく普通な家族だった。(彼らの応接間の写真を見て貰いたい。)

撮影三日め。化粧のアストリッドは今度はメッチンゲンという所で他の撮影に呼ばれていて、我々はそこに行って化粧をする事にした。そこでは同大学の学生が90分映画を撮影していた。前作品はトルコ人が主役でアルバニア人、イタリア人の3人外人コンビが馬鹿な事件を繰り広げるという作品でシュトゥトゥガルト市内の映画館でかなりの間ながれていたらしい。ドイツの道路には鹿や、蛙のマークが存在し彼らの出現に注意するが、その映画内では魚マークがあり、魚が道路を横断すると言ったシーンがある、ナンセンス物である。話は変わるが、つい先日真っ暗な国道に2匹のイノシシが目の前役70メートルに現れた。危なく時速100キロで突っ込むところだった。反対車線によけたら先頭のイノシシが急Uターンしてくれた。つい先月、キックボクシングクラブの人が鹿に突入し、車を配車にする羽目になった。だから、ドイツの森の国道を魚だって横断するのかもしれない。

さて化粧も終わってスタジオへ出発か。しかしベル二―の1984年製の銀のメルセデスクペーは煙を出して不調。一時間近くレッカー車を待ったが、こないので車は置いて、6人でハインツェの車に乗り込む。ジム(フランク)の膝の上に金髪モデルのジェニーが乗る事になった。警察にも見つからず、無事撮影所に着いたが、コーナーの多いい箇所でジムはかなり苦しそうだった。

何をするのよ、変態。きっともう助けがくるわ。

このハインツェの問題はヘビメタ男である事。今時まれに見るタイプだ。これを車の中でガンガンならされるとかなりしんどい。bpm 200 を超えるとも思えるもうスピードのビートが脳細胞に直接突進してくる。頭がいたい。皆の文句にめげて今度かけたのはステフェン・リンチというフォークの歌手だ。美しいメロディーが流れる。おかしい。さてこのシンガーの詩をひとつだけ紹介しよう。「我々二人楽しく飲んだ男同士の夜の酒。清清しい風がふきぬける。少し多かった酒、でもいい気持ち。もし僕が...だったら、君を愛したに違いない、もし僕が..だったら君と二人でピクニックをしたにちがいない、次の人生にでも、だから俺の...から手をだしなさい。」うーん。こんな曲かヘビメタか。これを朝一番スタジオに向かいながら聞かされる。朝はもっとさわやかに始めたい。彼にビデオを見せて貰った事もあるが、サウスパークの..ポコモン編でポケモンをもじったもので、そのポコモン玩具の社長がパールハーバー再侵略計画を企てるという中々意味深い作品だった。ハイツェのあだ名はスプラッター・ハインツェで日本映画の「Lady Snowblood」「Ichi the Killer」等の作品のファンでもあり、とにかくオカルトや血飛沫物に詳しく、その傾向の作品も数多く撮っている。日本のSIGH というバンドのファンでもあり、これは超オカルト系のバンドで、彼のようなファンを海外にも持つクールな変態バンドらしい。

「ところで、日本でもテレビに出た事があるのか?」とベル二―は聞いてきた。ハイツェも興味深く覗き込んできた。「えっ?」何の事だかわからない。「ほら、デモテープに日本の番組が。」なるほど。実は彼らに送ったビデオにはもともとサテライト番組で日本のテレビドラマを録画したビデオテープでその上に自分のデモを録画したのであった。「でも僕は映っていなかっただろ?」「いつ出てくるんだろうってずうっと見てたんだぜわかりもしないのに。」そりゃあ悪いことした。はは。ってな事になった。どうやら彼らにとって日本人の顔は似て見えるのでどれだかわからなかったらしい。「だいたいさあ。おぬし変身するから、こいつかな、いやこいつじゃないって、二人で話してたんだよ。ははは。」ハインツェは言った。おい監督なんだろ、ちゃんと人の顔みてくれよな。髭がまたかゆみだす。

さて、車の故障や、セットの組み換えのトラブルなどでどうなる事やらと一瞬不安になったが、一端撮影が始まるとまた皆調子付いてアイディアとエネルギーが充満した良い時を過ごせた。撮影中には監督の大学の仲間が訪れてきて守衛の役をこなしたり、手伝ったりしてくた。僕ははどちらかというと髭の痒みとダンボールでできた巨大な王冠に似た襟をつけていたため、妙なストレスに見舞われ、普段だったら暇な時にセットの手伝いをしたり、メーキングオブのビデオを撮ったりして待ち時間を過ごすが、今回は麻痺したように椅子に座り込んで順番がきた時だけ獲物を目指す蜘蛛のように動いた。

ジャックの彼女がセットに遊びに来ていた。はるばるベルリンから来たとか。今日のため彼はホテルを予約していたが、皆と夜に食事をしに行った時には同行してきた。しかし何故あんなに遠いい所からと聞いたら、先日知り合ったばっかりらしい。

最終日の朝食は11時。毎日30分づつ遅くなっている。僕の仕事はもう終わった。ジェニーは朝ベルリンへ発ち、僕も特にする事もなかったが、セットに残った。ぶらぶらしながら、脚本の日本語字幕版に取り掛かり、ああだこうだと撮影の邪魔をしたり、グリーンスクリーンの前での撮影を楽しんだ。昨日、ウルと守衛の役を買って出た男が巨大なグリーンスクリーンを壁に塗装したのであった。撮影終了後6時半に僕はルードビックスブルグを発った。何故か車では切ないブルーズを聞きながら良い仲間との撮影を後にした。

数日後にベル二―とハインツェからメイルが来た。今日借り物の撮影のセットを返却したが、非常に悲しかったと。皆との楽しい撮影だったと。彼らもこのプロジェクトを終えて卒業だ。ハインツェとベル二―26歳。これからが楽しみだ。ちなみにこの作品のサウンドトラックはドイツ版キャプテン・フューチャアのサウンドトラックの製作者が提供してくれるというかなりの総合作品ができそうだ。日本やアメリカの映画際にも是非出したい作品だ。

6月19日。一か月がたった。ジム、ジャックも合流しプレミエ開催である。ベル二―は徹夜で編集、ハインツェはメーキング・オブを編集。発表までギリギリ間に合わせた。大学で3回上映。3回共満席。他の監督コースの学生から握手を求められた。大ヒットだったが、まだ未完成な所がかなりあり編集ミスが目立った。この大学、実は有名な映画大学の隣町にある私立でスチル写真の教授が多く、製作過程中教授と意見が合わなかったらしい。それでも自分達のアイディアをまげずに進んだ彼ら。再編集された版を見たが、かなりいける作品に仕上がっていた。ドイツの夜間番組に応募したいと思ってます。フラッシュゴードンのオリジナルを知らない人にも通ずるギャグは入っていますが、どうだろう、日本の夜間番組にも挑戦してみるが。マイウェイを行くハインツェとベル二―これからまた何をしでかすのだろう。しかし、実はこの映画映画祭で流れる事はなかった。なぜならば映画音楽の権限がなかったためである。下手にプロの音楽を使用したのがいけなかった。他の音楽にしようとベル二―監督に何回か話しかけたが「いやでもあれが一番だから。。。」という返事が返ってきた。時間がたち、日の出を見ぬまま終わってしまったプロジェクトである。好い作品だったのに。残念だ。

プロジェクトのホームページ

length: 30 minutes black and white
director: Heinze
camera, producer: Bernhard
actors: Frank, Andre, Yuki, Marika
darkman production

The Original Flash Gordon from the 1930s
Flash Gordon shot in 1980

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