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ジョン・ルックという監督からメイルが入っていた。彼は僕をイギリスのキャスティング
サイトで発見したらしい。オクトーバーフェストで短編映画を撮影したいとの事だ。脚本
を早々ダウンロードして読んでみる。

ジョン・ルックの履歴書も添付されていたので目を通す。カリフォルニア州立大学で映画
専攻、数々の短編の監督、長編の助監督としてこなしている。脚本の設定では日本人とア
メリカ人がミュンヘンビールの祭りオクトーバーフェストに行く。これは素晴らしい設定
ではないか。撮影しながらビールが楽しめる。最高だ。このビールに囲まれた状況である
が、これに反して、脚本によるとアメリカ人の役ダグはアルコール依存症の過去を持ち、
ビールを飲んではいけない事になっている。ダグは妻にニューヨークを出る前にみっちり
と言われたのだ。

日本人役タックは友人としてダグに忠告をする。気を使ってタックもビールを頼もうとし
ないが、ダグの勧めで遠慮がちにビールを飲み始める。そこにイタリア人の軍団が現れ
る。さらにアメリカ人の学生が現れ、最後にはバヴァリアのお兄さん達が出てくるという
展開。ドンチャン騒ぎ状況になっていき、日本人タックはどんどん羽目を外していく。な
かなか面白いが、いったいどのように撮影するのであろうという質問のようなメイルを出
すと、現地で何とかするという不安な返事か返ってきた。しかし、彼の履歴書は中々の物
だし、脚本は面白いし、ここは賭けだと思って参加オーケーを出した。

ロンドンで用事があり、フランクフルトに戻ってからすぐに車を飛ばしてミュンヘンへと
走った。ジョン・ルックが住むのはミュンヘン郊外で何もないのだが、似た村の名前が幾
つかあってなかなか見つけづらかった。かなり飛ばしたにもかかわらず、ミュンヘンで
迷ったので夜の十時に到着。彼のアパートに入るとそこはもうカリフォルニア。飾ってあ
るジョン・ジャク・ベネの映画のポースターのせいか、彼が娘と一緒に描いたと言うカ
ラーフルクレヨンの絵のせいか、流れるラジオヘッドの音楽のせいか、ダグ(役と役者の
名前は一緒だった)という友人がぼんやりとカウチの上に座ってビールを飲んでいるせい
か、それともジョン・ルックが着ている薄茶げたT―シャツのせいか、何故か分からない
が、全体にまとめるとそこはカリフォルニアだった。日本の大学の友人にカリフォルニア
帰りがいたが、あの部屋ともどこか似ている。別にサーフボードが飾られているわけでも
ないのに。時間の流れがやや遅いというのか。ジョン・ルックらは80年代前半のナンセ
ンス映画を見ており、僕もビールを飲んでボーッとした。このボーッとした状態は僕は
中々得意なのだが、長い間味わっていなかったので気分は最高でした。というか、なんだ
ろう、彼らとは初めて会うのに何故か急にビールを手にした途端落ち着いてしまったので
あった。これはきっとダグとジョン・ルックから流れている何かの波なのであろう。

翌日は朝8時に起床。普段僕は早起きであるが、疲れが出たのか、ジョンに呼ばれるまで
寝ていた。娘さんは学校に行く準備をしていて、ぼくはのっそりと起きてコーヒーを飲
む。するとクリスというオーストリーの青年が現れた。彼はジョン・ルックが主演出てい
る短編映画「ザ・ツーリスト」で知り合い、手伝いに来てくれたのである。クリスは撮影
の記録係である。「ザ・ツーリスト」は短編でありながら、監督はカナダから来ていて
ローバジェットではあるが、ちゃんとプロダクションがついているという。我々の「ザ・
フェスト」にはバジェットはない。ゼロだ。役者も全て自費負担だ。去年ミュンヘンのプ
ロダクションが興味を持っていたというが、主演のダグにドイツのモリッツ・ブライプト
ロイを起用したいなどと話が合わなかった等多種多様の理由で流れてしまったという。脚
本はダグとジョン・ルックの共同作品だ。

さて、我々はたった4人だ。ジョン・ルック、ダグ、クリスに僕。こんな小さなクルーで
大丈夫なのか不安だ。しかし、ジョン・ルックいわく「この映画はゲリラ作戦で撮影す
る。これしかないのだ。小人数でこなし、素早く行動するだけだ。」我々はまず最初にパ
ン屋へ行き朝食を買う。バターが塗られたブレッツェルにアップルパイを買い、これを食
べる。まずホテルで到着シーンを撮影。部屋を快く貸してくれたホテルでうきうきした
タックとダグの到着シーンだ。これは難なく1時間で撮影終了。ホテルのマネジメントも
全く関与せず、客が使用済みのまだ清掃していない部屋を任させてくれた。「うーん、ど
んなホテルシーンでも撮れたな。」とジョン・ルック。

さてオクトーバーフェストの事を現地ではウィーゼ「庭」或いは「芝生」と言う。全く芝
生はないので、何故そう呼ぶのかはわからない。我々はレーベンブロイのテントに向か
う。平日朝11時はまだがらがらだ。これでは撮影にならない。午後を過ぎるとイタリア
人の軍団が現れる。これは脚本どうりではないか。彼らに話かけると撮影に参加してくれ
るといい、我々のテーブルに席を移動してくれる。イタリア人が酒を飲むシーン。タック
がイタリア人と暴れてビールを飲むシーン。全てうまく進行していると思ったら彼等は
「これから飯を食いに行くので。」と消えてしまった。やばい。これでは次のイタリア人
のシーンはどうなるんだ。映画の継続性から言って他のイタリア人を使うと映画がおかし
くなってしまう。その一方回りの席には人がどんどん増えてきてバックグラウンドの雰囲
気もOK。つまりタックとダグの会話のシーンなどが撮影できた。この撮影も難しい。準
備が整ったかと思うとバンドがウンパ、ウンパ、ウンパととうるさく演奏を始める。ロッ
クンロールだったり、バヴァリア地方の演歌だったりまあ色々とあるのだが、とにかくう
るさくて撮影にならない。休憩の間に狙い撃ちをする。

一通り撮影が終わった夕方にジョン・ルックはイタリア人が置いてきた電話番号に電話を
入れる。するとなんとちゃんと機能する携帯番号で、すぐ来るという返事があった。彼ら
が現れたのはいいが、4人のうち二人はもう完全にべろべろ。こうしてくれ、ああしてく
れと言ってもニヤニヤ笑顔を浮かべるだけで、あまり参加しない。内一人は監督の注文が
いかにも迷惑だという表情をしている。彼らの態度が一変したのはウェイトレスを勤める
役者サブリーナが表れてからだ。彼女は胸元が大きく開いたドイツ伝統のトラハテンを
着、ビールを運んでくるシーンを撮影。この際、彼女は本物のウエィトレスにいかに六っ
つも七つものリッターグラスを運ぶかを伝授される。かなりの技量が必要だ。7リッター
のビールにあの重いグラスが加重されるからだ。イタリア人の盛り上がりは相当なもの
だ。となりの机、また3っつ離れた机のイタリア人もビールジョッキ7つを抱えるサブ
リーナを食い止め記念撮影をしている。サブリーナは大柄でちょっと「ドイツのしっかり
したママ。」という感じが漂った胸元がふくよかな女性だ。イタリアの男はこいうママタ
イプが好きなのか。。。こう盛り上がってしまうと中々撮影も大変だ。しかしゲリラ撮影
の面白い所はこういう場面に脚本にないシーンを見出すことかもしれない。イタリア人の
大きなタックコールも撮影。そして4人はべろべろになってまた次のビール・テントへと
消えた。

さて我々は撮影中にかなりのビールを注文した。撮影上使用するからである。そしてビー
ルが目の前に置かれるとどうしても飲んでしまう。ドイツのビールを始めて飲む日本人は
炭酸が少ない、冷えていないという人が結構いるが、恐らくそういう彼らでもここのビー
ルを飲めばわかるであろう。ここのビールは違うのだ。一味も二味も。目の前に置かれる
とどうしても飲んでしまう。。。

イタリア人は全体的にどこにでもいたのだが、問題は脚本に出て来るアメリカの学生3人
組だった。学生というか、兄ちゃんタイプを探していたが、以外といない。9月はもう大
学の講義が始まっているし、一人ぐらいならまだしも、3人となると。。。米語で言うと
「デュード」と言ったタイプを探していた。ばんからというか、ちょっと怠け者タイプ
か、それでいて物事に対しての態度はクールといのか。。。チラッとしか現れなかったア
レクサンドラという助監督がなんとオーストラリア4人組を捕まえてきた。この4人組は
オーストラリアで一緒にラグビーをしているといった。二人は栄養士、一人は肉屋、もう
一人アジアとのハーフっぽい男は遺伝子サイエンティストとちょっと代わった25歳前後
の4人組。ただこの映画にはもってこいのキャラクターを持っていて、本人達も超乗り
気。彼らはイタリア人のグループと違ってちゃんと台詞もある。一人ように書いた台詞を
4人に分け、リズミカルに録画。カメラの前ではあまり激しく動いてはいけないなどの基
本的なアドバイス等をした。初日に難しいとされていたイタリア人とアメリカ人のシーン
を録画終了した。6時からテントの外での撮影を行う。そして8時には会場を我々は出
た。我々は壊れたように疲れた。オーストラリア人のグループは女性が胸を見せてくれる
というので有名なホーフブロイテントに向かうが、我々は急いで帰宅した。

アパートに戻ってピザを注文し、我々はテレビで一日の成果をチェック。編集しないとど
のようにシーンがつながるか分からないが、とにかく見ていて面白いシーンばかりだっ
た。音声は無茶苦茶で、編集が終了してから再録音することになる。その時にはダグは再
びニューヨークからミュンヘンに来なくてはいけない。

二日目

この日は朝はノンビリした。朝早くからウィーゼに行っても誰もいないし、ここはひらき
なおってゆっくりするしかない。ホテルからキャラクターのダグとタックが出てくるシー
ンを撮影する必要があるが、これはすぐに撮れるであろうという事になった。クリスに車
でミュンヘン市内にに送って貰う。ホテルの撮影終了後今度はウィーゼの入り口での撮
影。人ごみの中でタックのダグの喧嘩のシーンも撮影。これはクリスとジョン・ルックの
大きな課題だった。僕の空手ジャンプショットを撮影。箱によじ登りジャンプし、素早く
撮影。ランディングの音を聞いて警備員が早速飛んできた。「我々はまだ酔っ払っていま
せん。ええ。いや映画を撮影撮影しているんです。」と説明。警備員は笑っていたが、も
う一回ジャンプしたらおこられるであろう。。。しかし、中々ウルトラマン的ジャンプ
ショットが撮れた様な気がする。ダグの回転蹴りはあまりにも低く、しゃがんで避けた僕
の頭にドスッと当たる。そこでダグは気を使って蹴りを高めにするが、今度は彼のズボン
がビリビリという音と共に破れた。とにかく人込みを避けて撮影しなくてはいけない。見
物者がカメラに覗き込んだかなども注意しないといけない。人がカメラに覗くともうその
ショットは使えない。撮り直しになる。長い台詞で録画成功したと思った時に「いや、覗
き込んだ奴がいたから撮りなおし。」となると結構がっくりくる。あるシーンは30回ぐ
らい撮ったんじゃないかと思う。

巨大ビールテント内で今度はもっともおおきな課題に挑戦。タックがダグをバンドがプレ
イしているステージに引き上げるというシーン。バンドのドラマーに一許可を得る。実際
に撮影する、僕がダグを舞台に引き上げて結構長いスピーチを叫ぶ。ジョン・ルックは
がっちりそのモーメントを捕らえた。一発で捕らえてよかった。といのはそれ以後バンド
の回りの人などがうるさがって、バンドへの階段をさえぎるのである。あたりまえか。ま
あ撮影許可は「ドキュメンタリー」という事でいちようとったが、バンドの舞台まで登
り、叫ぶなどといいう詳細は伝えていなかったようだ。それでもワンショットは成功。ま
ずまずだ。しかし、こんなに大変な短編を撮った事があるであろうか。階段を途中まで登
るシーンを5回撮影した。これは良かったんだが。舞台の上で撮影しようというのはさす
が無理だった。最終的に使ったのは舞台の裏の階段の上のテラスに一番最初に一回だけ演
説を切ったシーンだ。

チャレンジングなシーンはもう一つあった。警備員にダグがテントから追放されるシーン
だ。これは以外にも警備員に話をするとこの役を快く引き受けてくれた。彼ら警備員の仕
事は主にビールのグラスを鞄などに入れて盗む犯人を捕まえる所にある。僕のバックパッ
クにはジャッケット等が入っていて膨れているので手で探られたが、撮影チームの一員と
わかると顔パスになった。撮影が始まると警備員はダグを捕まえ彼をかなり勢い良く放り
出した。我々のカメラはそれをがっちりと捕らえた。余談ではあるが、僕はこのビール
ジョッキをかなり前に友人と4個程持ち出した事がある。これがでかくて邪魔でコーラを
飲むにはリッタービンが一本はいってしまうので使えない。できたらまた返したい心境
だ。

最後に終了シーンを撮影。めでたしめでたし全て完了したのであった。本当に何が起きる
かわからない撮影だったが、ちゃんと必要なシーンは箱に収めた。ジョン・ルックは後ほ
どセカンド・ユニット、つまり景色のショット、ジェットコースターのショット等を撮影
すると言っていた。これから彼はこれを編集し、そして音声を録音しなおすのである。大
変な作業が待っている。アメリカ人と日本人がオクトーバーフェストへ行くというクリ
シェー短編。かなり大変だった。

ジョン・ルック監督がドイツに移住したという理由が面白い。彼はロスに住んでいたが、
ロスで自分の住んでいる通りで発砲事件があり、人がなくなったという。もともとフラン
ス国籍の彼はヨーロッパならビザが必要ない。そこで子供の教育を考えてドイツに移住し
たという。カリフォルニアのサニーボーイがミュンヘンに移住。考えてみれば考えてみる
ほどおかしい。あのビーチ、太陽を去るとは。。。ただミュンヘンは住み心地の良い世界
の町のトップに挙げられている。彼はヨーロッパでアメリカのプロダクションの撮影をサ
ポートしたり、ミュンヘンの英語シアターで演出、出演したり、幅広く活動している。