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ズール・デ・スシ/ ズールのすし

昔壁が東ドイツと西ドイツを分離していた時、東独の住民は、自分達の国境を越える事は
できなかった。少なくとも西の世界は閉ざされた環境に住んでいた。車も受注してか
らやっと手に入れるまで軽く10年の歳月がたってしまう世の中である。共産党員が
国民の行動を監視し、ちょっと変わった事をすると必ず怪しまれる世の中である。友
人と思っていた人が自分の対反政権の意見を漏らし捕まってしまうなどという事など
日常茶目仕事の世界である。そういった東ドイツの苦しい状況を表した映画は多く存
在する。しかしこのズール・デ・スシでは主人公のロルフ・アンシュッツの個性的な
キャラクターを描くドリーム・コム・トルー系の映画である。彼は実際に存在してい
た人物で、東ドイツの地方都市ズールでレストランを経営していた。そこで彼は日本
の料理本と出会う。高いお金を自腹で払って日本の料理本をドイツ語に翻訳させた。
そして1970年代に西側諸国の西洋でも珍しかった日本レストランを築き上げる。
日本人は夜風呂を浴びた後に食事を取ると知れば、風呂場を作り、障子を壁代わりに
すると知れば、障子を自分で作った。今なら世界中に存在する大工センターに行けば
簡単に手に入る工具や資材もあの時代の東独で手に入れるのは至難の業である。料理
の原料においても同じ事が言える。醤油、魚、何から何までも工夫、流通チャンネル
の模索、コネ、その他を駆使し少しずつ本格的になっていく。バナナでさえ手に入れ
るのが難しい国である。「外国にいけないのなら、外国を我々の所にもってくる。」
と当時のロルフ・アンシュッツの格言である。その言葉にひきつかれてか、物珍しさ
につられてか、最初は知人の輪だけのお客がどんどん有名になって行く。混浴集団
風呂で入浴した後に浴衣で鍋をつついたりするのである。もう共産党のレーダーで監
視されているのは間違いない。しかしこの映画の特徴はそこで共産党員達に夢を壊さ
れて行くという方向を取らない。実際にあまりにも有名になり過ぎて、評判ができ、
そう簡単に黙殺できない状況に合ったらしい。あまりこれ以上書いても内容が知れ渡っ
てしまっても仕方がないが、この映画以外と反響を呼んでいる。各テレビ放送局で
取り上げられ、2012年の10月18日に公開された。

この映画に出演できたのであるが、撮影は実際に東独のズール市の隣村で実施、役者も方
言などの考慮もあって東独出身の役者がほとんどであった。車で現地入りしホテルに
入るとなんと名簿にフランクフルト大学で当時日本語を教えていた哲学博士過程の木
村氏の名前が目に留まった。彼のホテルの部屋をノックし、まずビールを飲んだ。
フランクフルト日本映画際で一緒に手伝い、又8年ほど前にフランクフルト大学の
日本人留学生共とお花見をした時の知り合いだ。彼も映画に出演するという。

撮影スタッフのセットデザイナーには日本人がいた。彼はベルリンで芸術大学を終了した
ばかりであったが、かなりセットデザインに自分の感覚を盛り込んでいたようだ。
唯一の日本人の感覚を持ったデザイナーとして長保されていたようだ。

エキストラの中にはオペラ歌手もいて、なかなか撮影中の待ち時間はそれなりに楽しく談笑を
しながら過ごせました。