>
Homepage






ラインランドファルツ州映画際で一位に入賞。

寿司 ディナー 撮影日誌

ケルスティンとアルネとダルムシュタットの喫茶店で待ち合わせた。インターネットで彼
らは僕を見つけてくれて、彼らのロマンチックミステリーに出演してくれないかという話
だ。彼らはマインツ大学で映画学を学んでいる学生だ。卒業すると、ジャーナリスト、評
論家、映画産業の関係の仕事に就く人が多いいらしい。

二度目に会ったのは、彼らが障子などの小道具が欲しいと家に来た時だ。漫画本、本、日
本のモノポリー、包丁などセットに使えそうな物を持ち運ぶためだ。彼らの車には乗り切
らず、僕も一緒にマインツまで同行する事にした。





撮影の当日丘の上にあるマインツ大学に行った。朝5時半起きで寒い3月に自転車で駅ま
で向かい、そこから電車で行く。マインツはさほど遠くはないが、交通の便が家から良く
ない。電車の中で切符不携帯で罰金を払わされる事となった。先日金ごと財布から映画館
で掏られたらしい。全く気付いていなかったが、そういえば映画館でチケットを買ったと
きにさっと人が手前を通り過ぎて、おやっと思った瞬間がある。汚いジーンズを履いてい
てもだ。掏りの被害の上に電車の罰金。不快だが仕方がない。

大学には朝8時前に着いた。しかし誰もいない。大学内をぶらぶらしてると彼らは現れ
た。セットの設定と照明の調整に3時間近く掛かった。台所のシーンの撮影だ。照明とカ
メラはハンブルグとハノーバーの北の町から遥々来てくれたジョン・バプティストとヤ
ン・ペーターだ。彼らはテレビ局で研修をしていた時にアルネ君と知り合い、今回の撮影
に協力してくれる事になったらしい。彼らは今はプロで自由業で主にニュースなどのカメ
ラ、照明をしているらしい。彼らの仕事は慎重だが、時間が掛かる。




しっかり者のケルスティンはパン屋から昨日の残り物を山のように貰ってきていた。それ
に飲み物、チーズ、ハム、リンゴ、バナナ、ドイツの撮影食だ。僕としては一回でいいか
ら日本の弁当を撮影食として食べてみたい。そのへんの物を食べながら僕は時間を過ごし
た。台詞の復習をし、相手役の日本人のシオリさんと話をした。彼女は大学のコンピュー
ター室で彼らにスカウトされたそうだ。他にもハーフのモデル・マサコにケルンから来て
貰いケルスティンとアルネは面接をしたそうだが、キャラクターとして合わなかったらし
い。

主役は一人ごとを言っているのではなく冷蔵庫に入っている何者かと会話をしている。こ
れはアルネが三面記事で或る日本人が人を冷蔵庫に入れていたという記事を読み、そこか
ら発想が沸いたらしい。

実際に魚や、寿司をセットに持ち込み我々は撮影を始めた。照明の設定にカメラクルーは
慎重だ。僕は台詞を覚えたり、周りの人と雑談をし時を過ごす。アルネが時々わけのわか
らない日本語を叫んでいる「俺だ、うまい。あああ。俺だ。うめえ。がははは。」と言っ
た具合に。日本に留学している友人がいて日本に何週間か行っていたらしい。

10時に僕の撮影は終了した。先に失礼して、ヒルトンホテルまで歩いて戻った。さすが
のケルスティン、彼女は前にマインツの映画際でサポートをした事があり、ヒルトンに人
を泊める連絡をしていたらしい。それで今回の撮影にただで部屋を提供して貰う事ができ
たとか。さすが、このプロダクションで一番しっかりしているが、なんとアルネ君より
4つも年下の22歳だ。そして彼女はもう卒業の目処がついているが、彼氏のアルネの方
は大学に在籍しているという状態らしい。

少し散歩しライン川を橋からみつめて、入浴してから寝た。

ホテルの朝食室でカメラのヤン・ペーターが朝食を食べていた。昨日12時半まで撮影を
していたが、もう直ぐまた設定に出なくてはいけないと。僕は4kmの道のりを歩く事に
した。シオリさんは見あたらない。きっとまだ寝ているのだろう。地下のパーティー部屋
のキッチンを利用しキッチンシーン撮影をして午前中に終了した。午後からは場所を代え
スタジオに入った。演劇学、つまり学問的な学部で制作部とはちがうのだが、スタジオの
一つぐらいはある。ここではテレビ局から借りてきたカメラのレールを引いたり、上から
の撮影のためキャノンのDV からベータカメラに代えたり、また時間が掛かった。だいた
いセットの移動に時間が掛かった。カメラの台が異様に重く、汗が出てきた。解体しても
本体は100キロ以上あるという。

スタジオは広い。環境もいい。快適であるが中々シーンは進まない。監督が二人いると
中々決着がつかない。ヒョウキンな彼はありとあらゆるアイデアを出してくるが、彼女に
引き止められる。用意してきた寿司もだんだんしなびてきた。音楽をならして気を紛ら
す。するとアルネが踊りだした。おいおい、カメラと照明は真剣に働いているのにと言っ
た感じである。僕もメーキングオブのビデオを撮ったり、スタッフと話したりする。8時
を過ぎた。シーンは撮れたが、まだまだ続きそうだ。男同士で取っ組み合いをし、少し発
散する。結局解放されたのは朝の4時だ。残りは5時までいて、カメラ、照明は朝7時に
ホテルに戻ったという。

10時半。僕はまた朝食ビュフェで皿を山盛りにしていた。なんとすると、ヤン・ペー
ターが来た。飯を食べてからすぐに車で出るという。また設定が待っているからと。彼ら
の睡眠時間は3時間?彼らは撮影スタッフとして体力的条件を満たしている。この日は僕
はバスで大学のスタジオに行く事にした。

午前中にアルネのアパートで撮影、午後からは彼らの友人宅に行く。演劇学部のカップル
が住んでいたが、我々は彼らのアパートを占領し、延々と午後4時ごろから夜中の12時
まで撮影を続けた。4階まであの重いカメラの台を運ぶのは一大事だった。

撮影終了後カメラの台を返却しにテレビ局へジョンバプティストが向かい、その後照明と
カメラの二人は車で400キロ以上離れている北へと車で帰った。タフだ。

作品はマインツ大学の映画発表会でかなりの反響を呼び、見知らぬ学生から握手を求めら
れた。ほんのわずかの間栄光を浴びた感じで、まあ自己満足にひたっていました。嬉し
かったのは、シルビー・パジェーという大学で脚本を教えているカナダ人の教授に作品を
気に入ってもらえた事か。出来たら日本のショート映画際にも出してみたい。なんと言っ
ても台詞の殆どが日本語なのだから。









カメラ、監督1、監督2、メーク、照明


homepage