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Writer Sung Rno英語のインタービュー


サン・ロー(Sung Rno)はハーバード大学物理学卒業後JETプログラムを利用して埼玉の中学校で英語を教えた。アメリカに戻り、ブラウン大学でクリエイティブ・ライティング修士コースを終了し、その後病院でのアルバイト等を経て、ニューヨークの広告代理店にコピーライターとして勤める。私は東京で彼と知り合いました。彼の1月8日2002年に行われたインターネット・インタビューを紹介したいと思います。訳:岩本ユウキ 

作家サン・ローは「クリーブランド・レイン」、「引力は木から落ちる」、「Drizzle Mai Yi Theater」 等の作品を今まで公表している。ニューヨークに住んでいる。「イ・サンは13まで数える。」はホーストレードシアターグループによりKrain Theaterで2002年1月12日に公開された。

イ・サン (Yi Sang) のバックグラウンド、彼の思考、スタイル、重要性について語ってくれませんか?

イ・サンは1910年から1937年の間日本の植民地時代の韓国に生きていました。1937年に27歳で結核で亡くなり、8年間の書生としての人生を閉じます。彼は、デザイナー、イラストレーター、建築家でもあり、韓国では天才、詩人、実なる韓国のオリジナリティーを持った芸術家とされてます。ただ完全には理解されていません。彼の作品は難しく、暗く、アブストラクトだからです。彼はシュリアリズムに大きく影響されましたが、彼の作品には詩的で悲しさを含み、非常に面白くもあります。批評家にはわざと日本の支配者を惑わせるために詩を複雑に構成したという者もいます。彼のフィクションはより自伝的で、三角関係、裏切り、切望等をテーマにしています。

彼の詩はどのような西洋文化と比較できますか?

全体的な流れはカフカとベケットに似てます。彼が書く独特な世界にはミステリーな規則が存在します。私がカフカを思うのは、イ・サンも同様暗いユーモアを持つからです。ベケットを思うのは、アブストラクトな性質と、連続的な言葉との遊びのためです。初期のサム・シェパードはイ・サンの味があると思います。性格的にはリンボーやジム・モリソンとイ・サンは似ていると思います。

何故彼の作品に影響されたんですか。そして、観衆に何を伝えようとしているのですか?

私はイ・サンに初めて紹介されたのはワルター・ルーを通してです。彼はイ・サンの翻訳をしていました。私は直ぐに彼の自由なライティング・スタイルの虜になりました。彼の表現方は同時に多数の次元に訴えます:詩、ユーモア、暗さ。劇作家として、彼の劇場的な表現が特に身にしみました。新しい方向を検討する自由を与えてくれます。プロット重視のライターにとって、劇場は良い起動点ではありません、何故ならば劇場では無意識な分野での展開が話しの発展をもたらし、パワーを与えるからです。私の作品はイ・サンの書物をベースに描いています。私にとってその世界は現実でありながら、幽霊のような謎めいた物でもあり、そして美しさを秘めています。その世界と体験を観客と分かち合いたいと思ったのです。

観衆の反応はいかがでしたか?

全外的には良い反応を得られました。この作品のあらゆる面に対してそれぞれ変わった反応が見れるのが特に興味深いです。中にはただやたらと面白かったという人もいます。アジア系アメリカ人はアジア系アメリカ人のらしくない作品の内容に新鮮さを感じるようです。また他には言葉に興味を持ち、イ・サンについてもっと詳しい事を知りたいという人も出てきました。勿論、「面白かったけど、理解できたかどうかわからない。」という反応もありました。このような作品はどちらかと言えば絵のようです。ハリウッド映画のように一回で飲み込める物ではなく、体験してからしばらく消化に時間が掛かります。他のアナロジーとしては、ラジオヘッドの「Kid-A」アルバムのように、伝統的なメロディーと詩を、もっと原始的な要素に分解する事です。どちらにせよ、有難い事に観衆から強い反応を頂きました。

あなたの作品は詩の解釈ですね、何故それをしようとしたのですか?どのようにその解釈に到達されたのですか?

私は伝統的な芸術家の自伝的扱い方は避けたかったのです。イ・サンの人生はそのような扱い方に相応しい要素に満ちています。彼は韓国のキサエン(日本の芸者に似ている)と結婚、狂った詩と文章を書き、貧乏で認識されず早死にしました。個人的には苦しむ芸術家の映画や劇はあまり好みません。特に劇場では何故か映画のように苦しむアーティストをうまく表現できないのです。私は彼の作品に重点を置いたほうが興味深いと思ったのです。彼の文章のスタイルを自由に劇場で再表現したほうが、彼の人生を表わすより面白いと思ったのです。
イ・サンの厳密な分析は必ず二つの分野に分かれます。政治と性的解釈です。例えば彼の有名な詩:カラスの視界ポエム1で子供達は13回「怖い」を連続的に繰り返します。シーンに対しては非植民地主義、とサイコセクシャルな解析が取られました。リハーサルでは最初政治的解釈でアプローチしましたが、色々試している内に、性的要素が浮かび上がり、最終的にはこの二つの要素を取り込みました。

結果には満足ですか、そして今後どのような作品をしますか?

結果には満足してます。大変進化のあるプロセスを楽しめました。1999年に私がマーボウ・マインズのアーティストだった時に書き、リー・ブロイヤーが大変好んでくれ、彼は2000年韓国のソウル・シアター・フェスティバルでこの作品(韓国語)の監督をしてくれました。そして、去年の夏、私はアメリカのプルミエをニューヨーク・フリンジ・シアターで監督の役を果たし発表しました。そして、ステージ毎に私はスクリプトを書き直し、劇の意味を解釈し直しています。未だに私達は数多くの修正と解明を続けています。大変実行の難しい劇でしたから、見返りも大きいです。
もう一つこれにスタイル的に似た作品wAveがあります。インスピレーションはメデア神話から取り、量子力学、ジャンクフード、「ミスサイゴン」をもじった「ミスター・ポン・ペン」にチンキーとグーキーというキャラを扱った作品です。パブリック・シアター・ニューヨーク・ナウ・フェスティバルで数年前に公開しました。ニューヨークでも発表の機会を待ってます。今後又、イ・サンのようなチャレンジングな作品に挑戦したいと思います。しかし、今はストリング・シオリー(物理の法則)とパスタについてのプレーを考案中です。ワーキングタイトルも既にできていて「ヌードルズ」と命名しました。今はただ面白い、自然な作品を書きたいと思います。シュアレアリズムを体内から流し出すために。



あるニューヨークのダイブ・バーで。飲み物はこのバーで買わなくてはいけないが、食べ物は持ち込み可能。誰かが、外のピザ屋から持ち込んだ。ダンボールを開いて、さっそく頂きます。ボン・アペティ。一番右がサン・ロー。残りは彼女の勤めるテレビ局の人。

Newdramatists.org 英語ですが、サン・ローの作品の紹介等があります。

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