Acting,アメリカで演劇
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スタン先生  

アメリカに行って半年、生活にある程度余裕が出てきた時にケンブリッジの教育センター
のパンフレットが目に止まった。探していたのは物書きのコース。翻訳等はしてきたが、
どうも物を書く教育を受けた事がないので、テクニックがない。それを補おうと思ってい
た。パンフレットを開いて見ると向かい合わせのページに演劇コースの紹介が載ってい
た。仕事の後に真剣なクラスを取るより面白そうだ。そこで物は試しと一日演劇体験コー
スに参加する事にした。演劇には脚本がベースになり、それと真剣に取り組めば、きっと
ものを書くときのトレーニングにもなるだろうとも期待した。

一日体験コースでは単にシチュエーションをまねるだけのインプロビゼーションをさせら
れた。例えば、愛を囁くシーン、犬が相手を嗅いで怪訝に吠えるシーン、適当に挨拶を交
わすシーン、高校生の歩き方、大声で誰かを嘲笑する等土曜の午前中から夕方まで
行われた。これが結構ストレス解消になった。会社でかしこまって座ってるのではな
く、自由奔放に表現を色々試せるからだ。そこで早速月曜にはあらたなコースに登録し
た。

スタン先生は小柄でびっこを引く四角い顔のお爺さんだ。昔ケンブリッジで自分のシア
ターを持っていたらしい。彼の8週間コースに参加する事にした。週に一回。二人で組に
なって、3分ぐらいのシーンを授業中に準備し、発表する。台詞が入るとなると、これは
演劇だというプレッシャーがある。初シーンとして選んだのはセクシャル・パーヴァ―シ
ティー・イン・シカゴというデビット・マメットの作品だ。男と女が出かける前に喧嘩を
しているシーン。何故この作品を選んだかわからない。先生か誰かに進めらたのかもしれ
ない。テンションの高いトライするには適したシーンだった事を覚えている。

台詞を暗記しきっていないにも関わらず、発表を迫られる。台詞持ち込み可である。クラ
スで一回は義務となっている。が、このシャワー室の前の痴話げんか、台詞だけでも面白
い。だから、観衆の注意を引くのも然程困難ではなかった。「あなた、パンツ取って。」
「ええ?それよりもシャンプーはどこにあるんだよ。」「知らない。パンツないの?じゃ
あ、洗濯籠から。」「汚れたの履くのかよ。」「あらっ。私に裸で町にでろとでも言う
の?」と言った具合。拍手が沸き、なんら良い気分で席に戻った。このクラスでは皆常に
拍手する、フレンドリー・グループである。男女関係のコメディーが大部分を占めた。
「うん、どうするんだ。」「いやこれでもってさあ、ぶちぬけば。」銃を持ち上げる。
「はは、そうだな。」「...」といつまでも話しているだけで行動に出ない二人。こういう
「ゴドを待つ」系の脚本は良いモーメントを作るのが難しい。小道具の銃、呼吸と短い
ビートでうまくシーンを刻む。しかし初心者だからこそ挑戦したくなる。無謀にも。よく
やるのが、5分から10分ものシーンに挑戦する人。これは100%と言って失敗に終わ
る。プロじゃなくてはこれだけの時間を持たせられる人はいない。テレビだって3分以上
のシーンはまれだ。ましてや、舞台もない、音楽も流れていない、という状況で3分以上
観衆の注意を引くのは難しい。だからだいたい原作を編集して、3分以下にカットする。
実はこの作業が以外と得意なのに気付いた。それこそ 「クリエイティブ・ウライティン
グ」だ。

このクラスを終了してからスタン先生の上級クラスに挑戦した。このクラスでは台詞を完
全に暗記する事を進められた。僕は台詞を録音し、通勤時に聞いていた。英語の勉強にも
かなり役立つ。子供の頃アメリカに住んでいた訳ではないので、真面目に勉強しないと頭
に入らない。アメリカ人の仕草、ユーモア、言葉の流れ、人、文学と同時に学べるのが演
劇だ。八回の授業でまともにこなせるのが三シーン。一シーンに付き二回発表の場が持て
るといった具合。授業の始めには呼吸運動、発声、反射神経のゲーム、お互いの信頼感を
増すゲーム(目を閉じて後ろに倒れるのを回りの人に支えて貰う等)、動物真似ゲームな
どが行われる。やや子供っぽい感じの物もあるが、そこを乗り越えてこそ本物の役者なの
かもしれない。他のキャラになりきるためには心の壁を時にはぶち抜く必要がある。こう
いう演習に耐えかね辞めて行く人もいる。見た目そのままアメリカのソープオペラにでら
れそうな2枚目の男は二回目からこなかった。

この上級者クラスには恐ろしい叔母さんがいた。体重100以上は軽くあると思われる体
格で若い演劇の相手役の男をここぞとばかり抱きしめたりするのである。僕は一回つか
まったが、何かの演習のためで、演技のパートナーとしてではなかったのが災害中の幸い
だった。それでもあまり思い出したくはないなあ。レスリング式圧迫抱きしめ技以外にも
色々困った面があった。自分の意思が通らないと、論争を始め、ああだこうだとうるさ
い。女性と組んでも駄目だった。人を引きづるシーンなど、だいたい映画じゃないので普
通真似だけですませるが、彼女はあの100キロ以上の体で、脂肪を体中ブルンブルン振
わしながら、女の子を思いっきり引きずりまわし、擦り傷だらけにしたという参事も巻き
起こした。クラスのほとんどは感じのいい人ばかりだったのに。上級者クラスの参加者の
多くはコース終了後ステージクラスに参加する。しかし、スタン先生は彼女にうまく隣の
ハーバードのシェークスピアコースを取ることを勧め、言わば彼女を強制的にステージ
コースから外した。私は大分後にハーバードのクラスを取ったが、彼女の噂はそこでもあ
り、悪名高かった。

ステージ・コースに挑戦だ。我々は週一クラス以外も合ってシーンの練習を重ねた。元々
自分の劇団を持っていたというスタン監督の熱の入れようは並ならぬ物だった。ステージ
の題名は「拳銃を突きつけられた男達」つまりプレッシャーに置かれた男を表現しようと
いうテーマだ。この題の元にシーンを集める。色んな作者の作品をこのテーマに合わせ
て、流れを作り、3分から6分のシーンを連続的に発表するという手法を取る。それぞれ
独立しているシーンを2,3人の役者が演技する。皆が一回は主役になれる仕組みだ。リ
ハーサルもその分楽だ。全員集合する必要は最終段階のまとめの時だけだ。役者は2時間
の舞台にそれぞれ6分から15分の持ち時間しかないので充分準備もできる。私が選んだ
のは、とんでもなアイディアばかりを出す売れない作家。ヒステリー気味に友人にアイ
ディアを投げかける。その希望と絶望の世界を3分の間に表現するというモノログ。次は
誇り高き工場長。しかし社員は作っている商品に対しての興味がない。女の労働者に自信
とプライドを崩されて行く有様を表現する作品。つまり男が作り上げようとする足掻いて
いる状況と、一旦男が作り上げた世界の崩壊を示す2作品をスタン先生と選んだ。まさに
「拳銃を突きつけられた男達」の世界だ。

3月4月は皆と討議しながら比較的のんびりシーンの選択等をしていたが。5月に入ると
シーンのリハに入った。授業以外にもケンブリッジ・アダルト・エデュケーション・セン
ターで集合し、(シーン選択の段階からそうだったが)スタン先生はそれぞれのシーンの
メンバーに細かな指示を出した。こうしてみよう、ああしてみようと色々とシーンの工夫
を繰り返し、気にいるまで続け、時間どうりに終る事はなかった。普段仕事をしている
我々には厳しい状態だった。6月後半等は毎晩6時から夜中の1時までリハーサルを続け
た。思った等りにシーンは進まず緊迫したムードが続いた。その時にソフトエア・プログ
ラマーのデビットは監督に向かって言った。「我々は素人です。仕事もしてます。こんな
無茶なスケジュールではやっていけません。監督がいちいち変更を入れるから全く前進で
きないじゃないですか。」時計は夜中を回っていた。他の参加者からの攻撃もあった。す
ると監督の目から熱い涙が流れだした。一瞬にして彼の演劇に対しての情熱が皆に伝わっ
た。過去に演劇の団長だった彼は年老いてからここが年に一回の自分の作品を公開できる
唯一のチャンスだった。素人を捕まえて、ここまで熱心にやってくれる人もいないであろ
う。皆は黙って明日また6時に集合する事にした。発表は3回。友達は親戚ばかりが来た
が満席で、以外と好評で、監督の娘はわざわざ、ワシントンから見に来てくれた。シーン
とシーンの合間にジャズを演奏してくれたピアニストもいて、3週間後にはケンブリッジ
のケーブルテレビで全てを撮影、ケーブルで上映された。

このクラスで知り合った人とはかなり仲良くなった。発表前の二週間のストレスは誰もそ
うは忘れられない。ボストンに住んでいる間はその後も時々飲み屋で集まったりした。ま
た、そこで知り合ったアイルランド人のポールと「これでケンブリッジ教育センターは卒
業だなあ。次はハーバード演劇コースだ。」と新たなターゲットをかかげた。プログラ
マーのデビットも誘ったが、とりあえず演劇はしばらくこりたようだった。

スタン先生。でかいのはアイルランド人のポール

 発表後

 リハーサル

 ヘミングウェイ「セールスマンの死」の準備

 ジェーソンはなんとオックスフォードに留学していた事がある。社会福祉センターの救急車の運転手で脚本を書いている。後ろのアンドリューはハーバードの学生

 更衣室で

 皆一人3役だ。照明しっかりしろ

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