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ニューヨーク

先日元東京カルテットのチエリストの原田氏がニューヨークからきた。テロの事件から3
週間がたった今でも、町には煙の臭いが漂うという。外に出るとほこりでクシャミがで
るらしい。ロスという友人は自宅から貿易センター前を通過し、先のビルで会議に出てい
たという。貿易センターのビルから煙と紙が噴出すのを見て(彼はやたらと目がいい)
いったん会議を中断した。さてどうやら火事かなんからしいという事になって会議を再開
したところに飛行機が先回して、窓の前を通過、機体の裏側が視界を遮ったと言う。唖然
としている間に機体はビルに突入、彼らは会議を中断しビルを降りたという。「二機もビ
ルに突入するのはおかしい。」その日彼は会議のために家を早く出たという。普段だった
ら、ちょうど貿易センターの下を歩いている所だったと言う。機体の燃えるガソリンを体
中に被ったという人もいたカオス状態だったらしい。彼は自分のマンションには帰れず、
友人の所に数週間お世話になったらしい。マンション内は窓を全部閉めていたにもかかわ
らず埃で一杯だったと言う。又37階のビルに住んでいた人は夜うなされたらしい。町に
は人が少なく人が少ないと歩いている人々の表情がさらに浮き彫りになるという。町角の
消防署には花束が飾られていたという。5番街のSt.Patricks 教会ではちょうど消防員の
葬式を行なっていたらしい。町は普通に動いているようだが、静かに動く人々の心は事件
から離れていなかったという。

ロスから電子メイルがきた。ーー ありがとう ーー 大丈夫だ ーー また今度詳しく
連絡する ーー。モールス信号のようなサインが入っている所を見るとアメリカ人らしい
ユーモアはまだ消えてはいなかった。ロスは運が悪いというのか、良いというのか、彼が
東京駐在中にいつも勤務時に乗っていた電車がサリン事件の電車だった。しかし当日、
めったに遅れる事のない彼は、一本遅い電車に乗ろうとしたところ事件が発生したらし
い。悪運に強い奴なのだ。

1996年に貿易センターの下のマリオットに出張で泊まった事がある。93年テロの3
年後でロスと合った時にテロの話をした。彼は言った。「僕はニューヨークを愛してい
るから、とにかく満足さ。危険はないとは言えないが、市長のおかげで安全でかつ興味深
い町になったから。テロは恐いけど、どうにもならないからな、あれだけは。」美味しい
日本食を食べながら話た。その晩僕はホテルの20何階から外を見つめ、少し不安な気持
ちでベットに入った。

ボストン郊外の出張組はバンを借りてニューヨークまで走った。田舎者という事はない
が、大都市に慣れた集団とも言えない。人数が多く航空費も節約。そして自動車ショーに
参加するために駐車場に車を止めた。が、運転手のマーケテイング部長のジャックは料金
35ドルというボストンにしたら破格に横転して、そこをわざわざ出て、路上に駐車し
た。展示のため人通りは多いいが、タクシーのスクラップを並べた修理場や、赤レンガの
工場の窓が割れてたり、どうも感じは良くない通りである。まあ、アメリカ人の判断で止
めたのだから大丈夫だと思った。

展示が終り、少し薄暗くなった頃に戻ると、ガラスの破辺が道端に落ちていた。窓が割ら
れていた。中の荷物も全てない。これからボストンに戻ろうという時にだ。僕は荷物を何
故かバンから持ち出していた。朝ポーラに何で持ち出すの?と聞かれたが、まあと口を濁
らせた。アメリカに住んで間もない人間がアメリカ人に注意するのもなんか失礼かなと
思ったからだ。ただ、ニューヨークの話は聞いていたから、安全対策として持ったままで
あった。ボストンのナンバープレートにコートの下に隠した荷物は泥ぼうのいい餌になっ
た。コンピューター、カメラ、手帳、書類、全て奇麗になくなっていた。僕の汚いダウン
ジャケットと若手社員の安い鞄だけは残っていた。それからなんと警察に報告してから、
目げずにサイドウインドウが無い所にダンボールを張って帰った。雨まで降ってきて、ダ
ンボールをビニールで覆った。5時間以上の道のり。ハイウエイを走る風邪にビニールは
ばたばたとうるさく、寒かった。しかし、そこまでケチるか。全く。

ロスは生まれつきのニューヨーカーではない。彼はサンフランシスコ出身であるが、
ニューヨークに魅されて、マンションまで購入した。僕はそんな彼が羨ましかった。ボス
トンのケンブリッジからちょっと外れた住居地区に住みそこから郊外の工業地区へ通勤す
る自分とマンハッタンへ歩いて勤務の彼とはかなりの世界のへだたりがある。そして僕も
ニューヨークは好きだった。暇だと友達に電話をして泊めてもらった。嫌われるといけな
いので、友達リストを順番に泊まり歩いた、(いずれにせよ、迷惑な奴かもしれない)。
ニューヨークには良い事件または悪い事件、何かが起こりうる緊張感が漂う。ただし同時
にアットホームな感覚が味わえる。多様性からくるのかもしれない。人種の坩堝。ボスト
ンはやはり、昔からボストンに住む人々の町だ。外部からの人にはどことなく距離を持っ
ている。しかしニューヨークはそんな事はない。すぐに知り合いになり、友達の友達の輪
で夜飲みに行くとどこに辿りつくか予想がつかない。すばらしい町だ。

そんな一番住んでみたい町にテロ事件があった。ショックだ。誰にしたってショックであ
ろう。それでも住んでみたいか。解らない。機会があれば、住むかもしれない。世界の首
都、そういう感じがする。だからテロの的になったのだ。世界の首都の座を他の町が得る
事は想像できない。だからニューヨークなのだ。だから、今でも住んでみたい。ロスに聞
いた。ニューユークには残るのか?の質問には「ニューヨークはニューヨークさ。」とい
う答えが戻ってきた。


警察が来て事件を記録。運転席の窓が割られている。展示会場
が近いと言えども、向かい側の家を見てもわかるように、窓ガラスではなく板が窓代わり
になっている。いや恐らく人は住んでいないのであろう。

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