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忍者アサシン


この映画のベルリン・オーディションには3月の後半に行っていたのであるが、タイプが
合わないと却下されたのであった。この「タイプでない。」とは本当なのか。ドイツの文
化ははっきり物事を言う文化でありながらも、真相を付きつとめるのは難しかったりする
のである。ベルリンでも由緒所あるオーディション事務所に顔を知って貰っただけでも良
かったと諦めていた。仕方がないなあ、と思いながらもちょっと、いや、かなりガッカリ
していた。というのは今回のプロジェクト「忍者アッサシン」はマトリックスの監督ウォ
シャウスキー兄弟のプロダクションである。彼らの助監督を勤めてきたジェームス・マッ
クテイグ氏が監督を務めるという。前にベルリンで「Vフォア・ヴェンデッタ」という映
画を製作している。ウォシャウスキー兄弟は去年ベルリンで「スピード・レーサー」を撮
影していた。

何故ベルリンで映画撮影を行うかというと、ドイツ政府はフィルム・ファンドと言って、
映画産業を文化活動の一環として支えるファンドを持っている。かなりアメリカ映画にド
イツのお金が流れているのである。しかし最近はそのファンドに条件がついていて、ドイ
ツのプロダクションをある程度使用する事が義務付けられている。その割合が近年どんど
ん上がってきて、最近撮影をベルリンで行うハリウッド映画が増えているのである。ベル
リンにはバーベルスベルグという有名な映画撮影所がある。戦前活躍したフリッツ・ラン
グが監督として撮影した「メトロポリス」はスタジオはバーベルスベルグである。そして
このバーベルスベルグ撮影所のシンボルは映画「メトロポリス」のシンボルをそのまま器
用しているのである。人間の像に輪が描いてある像である。第二次世界大戦中リーフェン
シュタールという女性監督がプロパガンダ映画を撮影した。そして東独の政権下では東ド
イツの映画、テレビ等の撮影が行われ、今再び自由な映画撮影所として戦前の名声を取り
戻そうとしている。

そんな由緒ある撮影所でハリウッド映画に出れると言う。一回却下されたが再起復活の電
話が入ったのだ。本当に。半信半疑だったのだが、電話があった5日後にはベルリン、
クーダムの前のホテルにチェックインしていた。翌日にコスチューム・フィッティングが
あるという。くふふ、もしかしたら、ウォシャウスキー兄弟に合えるのでは。。。」と自
分ながら不思議なぐらいミーハーな思いが頭を巡った。実は僕は以外と映画監督とか俳優
に無頓着なのであるが、どうも「マトリックス」を見て以来「ハハー。どうも凄いざんし
た。」とどうも、なんか一本取られた気分なのである。

人間例えば才能があったらこんな建物を建てたかったな、こんな車を設計したかったな、
こんな食事を料理したかったな、こんな映画をつくりたかったな、なんてのがあるのでは
ないかと思うが、僕にとってそんな映画が「マトリックス」なのかもしれない。あるいは
「マッハゴーゴー」を元に「スピードレーサー」を撮影した彼らとは世代が重なるため、
なんか意識する所があるのかもしれない。とにかく何が何だか分からないのだが、ワクワ
クするのであった。

どことなくいつもの冷静さを失っていたのは確かである。

その2

電話が携帯に入り伝言があった。コスチューム担当の人で僕のサイズとかを聞いてきたの
であり、僕は折り返しの電話をかけた。「あっ。ユウキです。あの、その日本人、東洋人
ですよ。」と大体今までのプロダクションに挨拶すればちゃんとそれで「あっ。あの役
ね。」と理解してくれるのだが今回は駄目だった。「あっ、そうか、今回は多いいんです
ね。」「もう、うじゃうじゃ。」という答えが返ってきた。そうか珍しい。いつもの場合
はセットで唯一とまでは言わなくても、僕は映画全体の二人中一人の東洋人なのに。例え
ばビジネスマンコンビで上司とその部下役みたいに。

さて、ベルリン都心の豪華kadeweデパートの裏に止まっていたメークのトレーラーに
入ったのは9時だった。メークから出たのが午後を過ぎていた。こんなにメークに毎日時
間が掛かるのではたまったもんじゃない。体中に偽タッテゥのシールを貼り付けそれだけ
では足りないと水に溶けない絵の具を色鮮やかに塗りたくっていくのである。ずうっと
座ってじっとしていなくてはならない。僕は子供の頃から散髪だとか、なにもせず待つ事
が嫌いで、未だに散髪は苦手の一つである。しかし、何と今回は3時間半もメークに入っ
ていたのである。「もう僕は我慢できない。」とじたばたしても始まらないのであるが、
結構限界だったかもしれない。

それだけ長い間メークに入っているとだんだんメークの人と仲が良くなってくる。メイン
のスタッフはイギリス人で、ジェロームという男性がボスである。僕を担当してくれた
ジュールスとマーゴットの女性二人だった。この業界で長いキャリアを積んできたメーク
で丁寧な仕事をする。それに若いアシスタントが何人かつき、最初の段階では、僕は立っ
た状態でメークの人が僕の胸と背中で同時に作業をするという大変大掛かりだった。とな
り席に一緒にメークに入った役者達はどんどん次から次と変わって行くのに、何故か僕だ
けが一人で残されるのであった。

最初はお湯でシールを僕の体中に張っていったが、皆も面倒になってきたのか、そのうち
冷たい水をスポンジに吸ってペタペタと張っていく。それが冷たい。何せ何時間もじっと
上半身裸でいるのだから。また意地悪そうにわざと冷たい水を塗りつけるという事をす
る。「君はタフだからな。ははは。」タフではないのである。2時間以上立つと鳥肌が
立ってきて、暖房を付けて貰うよう頼んだ。すると持ち運び暖房ファンを回してくれた。
時々座ったり、たったりした。ジュールスは旦那と子供をロンドン郊外において一人で今
回仕事に来ている。旦那も映画産業で働いていて、いつもは自分が留守をしているんだか
ら、たまにはいいのだという。今度中古の自転車を買い、ベルリンを探検するのだとい
う。「それは旦那には内緒だけどね。あまり楽しそうにしていると怒りそうだから。」と
言っていた。「映画のメークは毎回新しいチャレンジがあるから、飽きないわね。」とも
う一人のマーゴットが自分の仕事について述べた。今回の作業も初めてらしい。シールの
ビニールカバーが外れなかったり、途中で敗れたり、色がちゃんと体に乗らなかったり、
トラブルが多く、毎回アルコールで塗料を取り除くのである。僕の皮膚は完全なる脱脂状
態だ。

無限に続くメークに思えたのだが、いずれ開放され、我々はやっと衣装を着る事ができ
た。この全ての作業がベルリンの都心に駐車したトラックの中のメーク質で行われた。撮
影現場に近い方が便利だからだ。

メークと衣装が揃ってから、ジェームス・マックテイグ監督が我々をチェックした。

今回の撮影で僕も初めてトレーラーの一室が与えられた。今まではいつも総合的な役者の
控え室しか提供されなかったのだが、なんかちょっと嬉しい。衣装と化粧合わせで一日目
は終わり、セットで知り合った「東京ドリフト」のサン・カン、イギリスで活躍する役者
ジョナサン・チャンとドイツの役者イルヨン・キムとベルリンのカフェで日向ぼっこしな
がら日曜の午後を楽しんだ。

その3

どうやら今回の映画に出ているレインとか言うスターはらしい。というのは僕は今まで読
者の方々から時々「いつも読んでます。」というレターを頂いても内容の修正だったりす
る事が多いい。(当時真面目にニュースレターを書いていた)。しかし今回はなんか「レ
インとの映画に出たんですか。」という半分興奮気味の反応が幾つか来た。僕は実はレイ
ンという人の存在を撮影の現場で始めて知った。ベトナム系のエキストラの女の子が隣に
座っていて(彼女は平然とプロデューサー・ラリー・ウォシャウスキーのチェアに座って
いて、僕は折りたたみ式の低い椅子に遠慮がちに座っていた)、急にソワソワし出し、僕
の事を突っついてきた。「みてみて。」みたいな感じで。そして見ると確かに髪の毛を伸
ばした、筋肉隆々な青年が立っているではないか。「?」と彼女に振り返ると。「あれが
レインよ。」と説明してくれた。「はあ。」である。見知らぬスターでも物凄い美女なら
僕としても反応できるが、男ではどうも。。。

一緒のシーンはないが、何回かバーベルスバーグ撮影書ですれ違いニコヤカに握手で挨拶
をしていった爽やか青年という感じがした。さてどんな握手かと聞かれても、強からず、
浅からず、親切な握手というか。。。今回の撮影のため特別なダイエットで体脂肪を普通
12%から5%に下げるためどうも鳥と生魚しか食べていないせいか、キャフェテリアで
合った事はない。ファンの方々にもっと色々書いてあげたいのだが、残念ながら他にはエ
ピソードが特にない。

キムというベトナム系アメリカ人、カリフォルニア出身で空手道上を経営していた人が僕
たちのシーンに役者/エキストラとして出ていた。我々とのシーンではパンチパーマでい
たが、先週合った時には長髪だった。キムは背が高いのにバックてんができる。「この映
画に出たのはもしかして路上で発見されたの?」とつついたら、「いや、本当にそれに近
いんだよ。ユーチューブに自分のパフォーマンスをだしたら、声掛けられて、この映画に
出ないかって。それで自分の空手学校売って、ベルリンさ。」「へえ。」「このスタン
ト・チームはトップのチームなんだよ。まだゲストみたいな感じがするけど。」
「ほー。」「あまり背の高い東洋人のスタントマンっていないんだよ。だから決まったんだけど
ね。」と控えめである。確かにキムを長髪にするとレインに似ていて、完璧なスタント・
ダブルになる。

メーク室の隣の部屋ではイタリア対ルーマニアのサッカー戦で盛り上がっていた。スタン
トチームのジンが僕を見るなり訳もなく「韓国VS 日本」と叫んだり、どうやら青を着て
いるイタリアチームが日本チームに見えるらしい。イタリアのコスチューム・デザイナー
のおっさんが、頭を抱えてイタリアのチームを見守ったり、スタントチームのパンがチャ
ンスが来るとジンと大声をだしたり。ジンはルーマニアを応援している。その他暇なス
タッフが部屋に来ては画面に見入っている。皆で見ると、いわゆる「パブリック・ビュー
イング」になり、だんだんムードとして盛り上がっていくのである。「オー・マイ・ゴッ
ド」とかなんか大げさな掛け声が上がる。

イタリアのキーパーの素晴らしいペナルティー・キックのセーブで盛り上がった。ジンと
パンはスタントコンビで、画面から離れようとしない「我々の撮影シーン?もうちょっと
待って。重要なシーンはここ。そうだー!いけー!番エキサイティングなんだよ。後14
分。」と画面を離れようとしない。アシスタントのお姉ちゃんは明らかに困ってい
る。「セットにラップトップがあるから、そこで見れるわよ。本当に。」子供達のように
文句をいいながら5分ぐらい粘った後彼らは渋々セットへ向かった。ゲームが終わると、
いつも元気なイタリアのコスチューム・デザイナーは頭を抱えて座り込んでいた。「オヤ
ジの悲しい背中」と題していい写真が撮れそうである。

その4

さて映画の撮影とは毎回待ち時間との戦いとなる。しかしまあ待ち仲間がいる。バーベル
ズベルグには幾つもある撮影ホールがあるが、その前に駐車された役者や衣装用のトレー
ラーが並ぶ。というのは、建物の中の化粧室もあるのだが、今回は外の撮影が多くそのま
まトレーラーを利用したほうが便利なのだろう。我々はトレーラーの入り口の階段の上に
座ってウダウダと雑談をしながら過ごしたり、セットの前で監督やスタッフの肩越しにそ
の場で撮影されたシーンをスクリーンを見つめたり、リンゴ、生のニンジン、キウイ、リ
ンゴを齧ったり、メットウルスト(生の豚のひき肉)と玉ねぎが載った黒パンをつまんだ
り、自分のトレーラに引きこもり読書をしたりしながら時間をつぶすのである。撮影ホー
ルの前に大きなテントが立ちそれがカフェテリアで、又は外でビアガーデンのように食事
ができるようになっていた。勿論ビールはない。

結局暇だからサン、ジョナサン、イルヨンとくだらない話をする。サンは我々4人組みの
唯一のアメリカ人だ。当時アメリカ人はヨーロッパに来ると揚げ玉に上がった。まあそれ
はブッシュを代表とした超加熱消費社会、無謀な海外政策、云々色々あるのである。とい
う事で今回はサンが我々3人の揚げ玉に上がりそうになったが、サンは大学で政治学を専
攻していただけあって、中々切り抜けるのがうまいのである。彼から習った言葉で使える
と思ったのが「インスタント・グラティフィケーション」つまり直ちに満足感を得るとい
う事である。アメリカ人は待てない。欲しい物は直ぐに手にいれないと気がすまない。だ
から不動産クライシスやら、クレジット・クライシスになるのだ。サンはに話上手だ。演
劇科で学ぶよりもアメリカで政治学を学びポリティカルスピーチをどんどん習得した方が
役者のいい訓練になるのではないかと思ってしまう。。。

彼は色々ハリウッドの話もしてくれた。彼はちょうどファーストアンド・フューリウスの
続編の撮影に入っていてロスと行き来していた。うーむ。売れている役者は羨ましい。僕
も行ったり来たりしたのであるが、通訳とミュンヘンの日本市場向け英語PC教材の録音
だった。なんかいつも職種を切り替えないといけないので、なんかその切り替えのキャラ
クター変身の方にどうも力が入りすぎて疲れているような感じがする。なんかこの行った
り来たりでどんどんと年月が立ってしまうという恐怖に駆られるのである。「あー。いつ
もっと大きな役が来るんだろう。。。」という事で非常に羨ましいのである。

他にランディーというマトリックスにも出演した役者は奥さんと来ていた。彼は若い頃自
分で化粧をしてアメリカのシアターの舞台に立ったという。彼は東洋人なのに白人になり
きって舞台に立ったのであった。そして昔は映画には一切出なかったらしい。「そうか
あ。いいなあ。ちゃんと演技の芯を捕らえてからなら映画に出ても、演技の魂を逃す事は
ないんだろうなあ。そうかあ。」「いや、もう年で仕事は然程こないから、今はなんでも
来た仕事はやってるよ。」「僕も真面目に取り組まなくては。うーむ。」

スタントの人々とも話しができた。ジンはジャッキー・チェンのスタントダブルで、
ジャッキー・チェンの事をボスと呼ぶ。パンはジェット・リーのスタント・ダブルだ。彼
らと日本食料理店に酒を飲みに行った。僕の左手にはサン、ジョナサン、イルヨンが座っ
ていた。僕らはアメリカ或はヨーロッパ育ちである。西洋式に自分の物を注文した。一方
右手には、ジン、パンその他のスタントチームが座っていて、一緒に注文し、皆で突付い
ている。なんか東洋的なのである。確かに、彼らはスタントチームとしていつも一緒だか
らファミリー的な感覚でという事も言えるが、基本的姿勢がやはりどこか違う。酒も互い
に注ぐ。「おっとっと。」という感じに。それが我々、つまり僕の左手は自分で注文した
物を食い、勝手に飲むだけ自分で酒を注ぐのである。支払いも左側は一人ずつ、右手は一
人が払って事が済む。

ウォシャウスキー兄弟は最初の撮影日には現れなかった。二日目にも現れなかった。もう
彼らは来ることはないのだろうと思っていた。そしてフランクフルトに一端戻った。しか
し二回目のセカンド・ユニット撮影でアクション・シーンに入ってからセットに現れた。
やった。ウォシャウスキー兄弟だ!という事でめでたく彼等とも会えたのであった。