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ニューヨーク・ジャンクフード巡り

2月20日2003年  (木)


ニューヨーク・ニューアーク・エアポートに着いた。ボストンから車か鉄道で来た事はあ
るが空港からだと街中までどうやって出るのかわからない。バスにしようかと迷ったあげ
く電車でペンステーションまで行く。そこから先は地下鉄だ。鞄一つで旅に出る事が多い
が、今回は荷物がかさんでトランクを持ち歩いている。電車に乗るとやたらと愛想を振り
まいている人にペンステーションまでの距離を聞く。電車内には車掌が切符を切って回っ
ている。切るというかビリビリと目の前で破いて歩くのである。エッ俺の切符と言おうと
したが、その代りに他の紙切れを手渡してくれた。これをまた最後に回収する。つまり車
掌が切符のために2往復するのである。エアポートから乗り合わせたお姉さんと顔を見合
わせて笑った。彼女もニューヨークは初めてのようだ。全く車掌の行動の原理が読めな
い。

ペンステーションで地下鉄用のコインを買うのにならぶ。前のアメリカ人の初老のオジサ
ンは切符売りのおじさんの髭を誉め、切符売りはなにやら嬉しそうに自分の髭に手を当て
た。僕がカーネギーホールへの道を聞くと、初老のオジサンが振り返り、「僕がいくから
一緒に行こう。」と言った。話をすると彼は49年前にドイツからニューヨークに移民し
たと言う。これからカーネギーホールでチェコのオーケストラがプロコフィエフを演奏す
るので聞きに行くという。カーネギーホールが音響がよく、練習の時ならただで覗けるか
ら、是非行って見ろと言われた。カーネギーホールをその取り壊しから救ったというバイ
オリニストの話をした。最後にはドイツ語で互いに挨拶をした。

知り合いの家は57番街の32階にある。入り口でチェックインする。ニューヨークのア
パートにはドアマンがいる所が多いいが、親切ではあるが、かなり丁寧に来客をチェック
している。コンピューターの来客リストを確認している。9/11の事件以来厳しくなっ
たのか、ニューヨークだからここまで丁重なのかはわからない。カイはミュジカル・シア
ターのサウンド・デザイナーだ。当日僕は少し休んで街中に出た。9番街を42番街まで
下る。飲み屋やレストラン、カフェしかないが、ニューヨーカーのローカルな表情が見え
るので良い。さて、アメリカと言えばジャンクフードである。カイに薦められたラーメン
屋を素通りし、町の汚いピザ屋に入った。ブロッコリーが山積みのピザをオーダーする。
美味しい不味いの問題ではない。ニューヨークのピザなのだ。僕はこの感じの店が好きで
ある。日本の街角のラーメン屋に似ているからかもしれない。内装と呼べるものはなく来
ているは学生、老人、角に住む姉ちゃん、兄ちゃんとまちまちだからだ。人々の表情、タ
イプや会話を観察するのが楽しい。ボストンで演劇クラスを取っていた時には良く会社帰
りにバーガー屋に入った。壁は黄いばんでいるが、店は満員だ。ベンチのような席に壁に
着いた机、もう何十年も使用した形跡がある。来ている客も常連が多い。きっと彼等は
オーダーする物も決まっているのであろう。特にニューヨークでは人種がばらばらなのが
いい。お婆さんが一人で「デリ」(ユダヤ系のサンドイッチ屋)で沈沈とサンドイッチを食
べている。そのワン・カットから一つの映画が作れそうだ。ユダヤ教の掟にしたがって調
理された食べ物、つまりコシャーな食べ物がデリに並ぶ。中でも「Strictly Kosher」厳
密にコシャーのルールに従ったているという提示をしている店もある。ラップのダボパン
ツを履いたアフリカ系アメリカ人兄ちゃん、アメリカの中部から来たと思われるようなか
なりデブなオヤジ。学生のカップルはなにやら宿題の話をしている。



2月21日   (金)

朝食は部屋の中で済ませる。テレビでは火事にあったクラブのニュースとニューヨークの
港で燃えたオイル工場のニュースが流れている。カイはコネクティカットの自宅に戻り、
このマンションは僕の物となった。晴天でマンハッタンを歩きまわる事にした。ヒル食に
はまたもジャンクフード。ニューヨーク・ジャンクフードツアーだ。しかし、
4.95$のチャイニーズランチを素通りするわけにはいかなかった。店は待ち客もいて
栄えている。5番街と28番外の交差点あたりだったと思う。そこでチキンカレーを食べ
る。ヤスミンティーを飲む。さてこれはちゃんとしたランチメニューだが、5$以下と言
う事でジャンクフードの定義にギリギリ当てはまるのではないか。一端休みに帰ってから
再びジャンクフードツアーに戻る。NYU 近辺にある韓国のこれまたニューヨークに相応
しい汚い店にがたいの大きい韓国人の店長。ここではキムチラーメン、ライスにキムチと
いうラーメンキムチセットを頼んだ。4.50$。食事を済ませてから、ニューヨーク大
学の演劇課のベルグラード・トリロロジーを見る。主に院生が企画したプレーだ。良く出
来てはいたが、ヨーロッパの人を表現するのは難しい。ここの学生はどうやらヨーロッパ
という物を全く理解していないようだ。登場人物はアメリカ人どころか、ニューヨーカー
そのもの攻撃的な性格でノイロティックな登場人物が目立つ。監督のせいか、役者のせい
か、脚本のせいか。登場人物はベルグラードの戦後を各国で暮らし、その中で生き抜く様
を表わしている作品だが、どう見ても、ニューヨークで生き抜こうとする芸術家の話に登
場人物の名前と出身地の名前を摩り替えたようにしか見えない。

2月22日  (土)

雨。物凄い勢いで降り続けている。この日は友人のDVDコレクションを観賞する事にす
る。前から噂で聞いていたイギリスのコメディー「Absolutely Fabulous」があったので
これを見始める。何気なく見始めたのが、それにはまり、10話見る羽目になった。元売
れっ子モデルのおばさんと広告代理店を経営するおばさんの二人コンビの話である。二人
はドラグ・セックス・ロックンロールの時代に青春を送り、いまでは子供達から敬遠され
る大変なる存在になっている。はまってしまった。途中で昼食と散歩をかねて7番外を下
りチーズピザを食べる事にした。値段は1.95$でサイズがでかい。このピザはかなり
いけた。イタリアのピザではないが、アメリカ式ピザではかなりトップを行くのではない
か。伸びるチーズに焼きたての台、台は当然店で作っている。7番街にあるせいか、ピザ
の回転が速い。



2月23日  (日)

翌日僕はジャンクフード生活を続ける事にした。友人と13番外にある店でブランチをす
る事になっていたが、どうしてもマクドナルドのパンケーキが食べたくなった。これは昔
早朝便で出張先に着くとレンターカーで真っ先にマクドナルドに入ってこれを注文したか
らだ。デラックス盤にはパンケーキ二枚、卵、バーガー等が皿の上に載っていた。この8
番外と55番外の角にあるマックの店員は皆アフリカ系アメリカ人だ。僕の前に並んで
いるやはりアフリカ系の人は店員達と先日のタイソン戦について話してる。「やあ、見た
かよあれ。」「見た見た。タイソン戦は見に行ったら損だなー。」「全く。あはは。」
「だいたいさーあの顔の刺青、なんなんだよなー。」「まったくな、ははは。」と和気
藹々としているが、僕の注文を取る女の子はやたらと無愛想だ。店内を一番観察しやすい
位置に自分のプレートを置いて久々のアメリカン・ブレックファストを口にする。コー
ヒーがしかし問題だ。バニラとか言って、やたらと甘い。バニラの味がついていて、朝か
らチューインガムとコーヒーの混合物を口にするようで大変気持ち悪い。それでも飲んで
いる内に辛すぎるバーガーとうまく口内で中和できる事に気づいた。これぞジャンクフー
ド極楽状態だ。ふははは。

ユニオンスクエアの近くでブランチにステーキを食べる。生演奏のジャズのせいか、肉が
口内でちょうど感じのいい噛み応えを残して牛の味を繰り広げてくれた。非常に美味し
かった。ジャンクフードもこれでひとまず休憩だ。友人達と「The Guru」を映画館で見
てぶらぶらしてから今度は僕のヘンな店で食べたいという要請にマット達は答えてくれ
た。やたらと古い、中国料理店だ。これが内装がアメリカのダイナー風にアレンジされて
いる。店内の入り口には古ぼけた大きな水槽がある。その中に魚が元気なく泳いでいる。
奥まで長細い店内にはアメリカ独特の白いビニールでカバーされたダイナーの長いすと
テーブルが並ぶ。天井が半地下のせいか異様に低い。狭い。何故かクエンティン・タラン
ティノやデビット・リンチの映画に出てきそうな、アメリカ的だが、どことなく独特で見
方によっては不気味な店だ。出てくる食事も超アメリカ版の味付けだ。これ以上中国料理
をアメリカ的にアレンジするのは無理であろうという味がする。この味は大変異様であ
る。初めて口にした時に思わず「ウッ。」と食事が喉に詰まったものだ。ヨーロッパ系の
中国料理とはまた違った独特の味がする。醤油味らしいが、甘く、合成の味がする。産声
を上げた途端にコカコーラやドクターペッパーを飲んでいる人間にしか理解できない大変
複雑な刺激が舌を走る。さて、話によると、7時、8時ぐらいにくると、年配の昔からこ
の店の来客だったような人々が大勢訪れるらしい。頼んだメニュー:カシューナッツ炒
め、いかの炒め物、焼きうどんのような物、萌やし豚炒めのような物であるが、何故か、
似たような味しかしない。量が非常に多くやたらとお腹が一杯になった。やはり頼んだか
らには平らげなくては。




ロワー・マンハッタンに住む友人ロスの家に泊まる。この辺一帯は工事現場だ。確かに昔
の記憶の景色とは全く異なっている。非常に不思議だ。友人の趣味は写真だ。彼はこの地
帯に1998年頃に引越し、多くのワールドトレードセンターの写真を撮った。彼はそれ
らの写真と同じ位置から9/11以後に撮影した。両方のバリエーションを見ると、どれ
だけニューヨークのスカイラインが変化したかが良くわかる。できそこないの整形手術ど
ころではない。顔から鼻をそのままもぎ取った感じがする。

ロスは会社に早朝でてしまった。彼はかなりのDVDのコレクションを持っている。「フル
モンティー」イギリスの無職の男達がストリップショーを企画するという映画を見る。こ
れはお勧めだ。「セックス・アンド・ザ・シティー」のシリーズも2話見た。この後僕は
マンシー市に飛び、「ザ・ダウンタウン・フェアリーテール」の撮影に参加した。