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撮影日誌 2003年 2月、3月


撮影現場写真

ザ・ダウンタウン・フェアリーテール  アメリカ中部での撮影 



2003年2月、3月


アメリカ中部のインディアナ州にマンシーという小さな冬には雪に埋もれてしまう小さな
都市がある。インディアナポリスから1時間半程のドライブだ。その村にはたった一軒の
本屋しかない。この本屋の店長はグレートフル・デッド系のタイダイ・ティーシャツに長
髪、70年代の眼鏡をかけたかなりバーガー好きな体系をした中部のオタクである。棚に
はサイエンス・フィクションの古本がずらりと並ぶ。女子学生が店長とブッシュ政権につ
いて話している。先生になりたいと言っている。外は雪が道路に積もっている。温度は零
下を下っている。吐く息が白い。中はTシャツでもいられるぐらいに暑い。アメリカ式過
剰暖房の部屋だ。壁にはアメリカの古いコカコーラの広告、古いミッキーマウスの漫画の
絵が描かれたプラスティック鞄、プラスティックカップ等が並ぶ。もし店長のデレックが
もう少し細かったら、ハイ・フィデリティーの話に出てくる、いつまでも独身で古レコー
ド店を経営している店長のモデルになれたかもしれない。デレックは物静かに古本をビ
ニール袋につめ、丁寧にセロテープで封じている。

デレックはマンシー出身だ。生まれも育ちもマンシー。16歳の時から蚤の市等で古本を
売っていた。高校を卒業後工場で4年間働きお金をためてから、自分の古本屋を持った。
それから一回引越しをして、現在の店が2件目だ。月々のお金はギリギリだが、彼は自分
の仕事に満足している。近くの学生から近所の人まで彼の店を愛用していて、彼との会話
を楽しみにしている者もいる。客が入ってくると何かと声をかけて行く。1960年代の
プレイボーイ紙等もかなり揃えている、彼の自慢のコレクションだ。本当は手放したくな
いが、売れれば生活が掛かっているので仕方なく商品と別れる。彼にとって最も心に痛む
事だ。だが、彼のビジネスの殆どは値の低い本やビデオテープの販売で生活を立ててい
る。又ビデオジャンキーでもある。彼の店のブースにはテレビデオが置いてあり、必ず何
かを流している。

そんな中部の平凡な毎日に変化が起きたのであった。ある日突然ドイツ人の若者が彼の店
を訪れ、店内で映画を撮りたいと申し出た。デレックはもともと映画とかメディアが好き
で映画撮影という言葉に大変弱くこの案にすぐに賛成した。2月の弱い売り上げにどう
やって家賃を遣り繰りしようと困っていた所だった。一日150ドル払って貰えると聞い
て驚いた。さて、このアルネとケルスティンという留学生はドイツから撮影スタッフ4と
一緒に2月24日に訪れた。デレックは自由に行動を認めた。我々はスクリプトを取り出
し、ビデオカメラで撮影の練習を始めた。カメラの方向や、役者のセットをチェックす
る。後は照明・通称ジェービー(JB)、カメラ・通称ジェーピー(JP)、カメラアシスタ
ントの女の子カレン。カレンはスタンドイン役者としてカメラフォーカスの設定のために
シーンを演じている。設定について彼等は長い間考え込んでいた。デレックは常時自分の
カウンターの後ろの席に座って自分の古本の整理をしていて、周りに学生がリハーサルを
していても気にしなかった。客もこの時期は少ないので気にならないらしい。

ジェーピーはハイデフィニションカメラで撮影するのは初めてだった。慎重な性格から、
22日からマンシー入りし、カメラで光のチェック等を施した。我々の住まいは地下にあ
る3ルームアパート。カメラと照明は仲良しなので同じ部屋。カレンは女子だから、彼女
は一人一部屋が割り当てられた。カレンはケルスティンと買い物をしてきてくれたので、
ジュース、パン、ソーセージ、スパゲッティー等を買い揃えた。

2月25、26、27、28と毎日朝から晩までスクリーンボードの製作とリハーサルに
チームはあたった。監督コンビを含むチームで飲みに出かけたのはその期間一回だけ。夜
には監督コンビはスクリーンボードの製作にあたった。JP、JB、カーレン、僕は一緒に住
んでいたのでビールを一杯飲むんで一日を終えた。大学の図書室でのリハーサルを除いて
アメリカ人はまだセット入りしていない。彼等の殆どはまだ試験に追われていた。監督コ
ンビは一年留学なので試験科目が少ない。

2月28日の夜は本屋の解体が始まる。古本屋のエロ雑誌が並ぶ、ビーズ玉のカーテンが
掛かっている電話ボックスよりやや広い部屋を完全に取り外す必要がある。そのコーナー
に映画に出てくるおじいさんの席を置く予定だからだ。アルネ監督は大学の編集室でス
トーリーボードを作っていたため、現場は残りのメンバーがこなさなくてはいけない。
JPはエロコーナーの取り外しは棚は複雑に組み合わされていたのでかなり困難だった。

デレックは映画のスタッフたちが自分の店を完全に解体するとは聞いていなかったらし
い。自称リラックスしたタイプの彼は、苦労して作り上げたコーナーが目前で解体されて
いくのをみてくらくらしていた。何百冊とあるプレーボーイのコレクション。1950年
代の初期の物から揃えている。彼曰く、このコーナーは営業上欠かせない。解体を目前に
デレックは不安が表情に表れるのを隠しきれなかった。ジェービー、ジェーピー、カレ
ン、僕はできるだけ丁寧に彼の商品を扱い、少しずつ、この箱型の隠れコーナーを分解し
た。特にジェービーとジェーピーの器用な分解にデレックは少しづつ彼らを信頼してき
た。結果的には、デレックも手伝って、セットを完成させた。僕は早退したが、残りは
12時過ぎまで働いていた。翌日朝5時から今度は照明を設定するという。取り壊した
ブースの中にカメラを見つけたJP。デレックによると、一人の学生が雑誌を見て興奮して
事を済ませようとしている所を発見して以来つけたという。デレックはあの事件を思い出
してはうんざりするよと言って周りの笑いを誘った。

3月1日

撮影初日だ。サウンドマンがいない。サウンドマンは先日マンシーの怪しげなクラブの帰
りに3人の男に襲われたという。サウンドマンとその友人は骨を折られ入院しているとい
う。ケルスティンの遊びに来ていた従兄弟マティアスが急遽音響係になる。電機テクニ
シャンで耳が非常に良いという事でその仕事にはぴったりだった。彼はセットで仕事が割
り当てられて、結構満足していた。背も高く、上から音を拾う時に竿を持ち上げるのに
ピッタリだった。

デレックは早朝に店を開けるのがかなり負担のようだったが、その後家に戻ってまた寝に
帰った。夕方に足を運び覗きに行った、店が気になるというよりも我々の撮影が気になっ
たようだ。僕はは郵便局の配達員の恰好で撮影。ピカピカな制服を着ている郵便屋なんて
そうはいない。そういえばプッツン切れる郵便局員が乱射する事件が90年代に一時期続
出していたが、どうやらこの映画はそのパロディーなのかとデレックが聞いた。郵便屋が
本屋の娘と恋に落ちるというストーリーだと説明した。彼等の撮影終了間際の9時にデ
レックは友人のデーンを皆に紹介した。デレックは翌日ブックフェアに行く予定で、友人
に代理に店を見てもらう事にした。

アルネがデレックの友人デーンを一瞬見た途端不安が彼の表情を過った。小柄だが、顔の
表情がやたらと暴力的だ。話す言葉もそれに一致する。「僕と君らは友人ではない。僕は
この場所を見張っているのが仕事だ。スタッフのみ入店可。友人不可。」カメラマンのJP
「朝6時に店を開けて下さい。」デーン「6時に来る。」と短い返事しか戻らない。表
情は固まっている。控え室に戻ると、みなが慌てだした。「あれじゃあ、明日の撮影途中
で停止させられたらどうするんだ。」と皆がパニックにおちいる。別にパニックしても始
まらないと言った。皆も落ち着きを取り戻した。本屋を出て、我々は軽く皆で飲みに行っ
たが、アルネはメディアセンターに急ぎ、次のストーリーボードを書きに出た。アルネは
明日の撮影に関してデーンの言葉が気にかかかったようだ。

3月2日(日)

僕は朝気持ち良く寝ていた。二日目の撮影日の撮影開始は8時なので、ゆっくり寝坊しよ
うと思った。気持ち良く寝ていると、「おい、どうしよう。。。」というJP の声がした。
「6時10分だ。」彼等の頭の中には即刻「やばい。」という言葉が刻み困れた。あの
デーンを怒らせたら不味い。一日の撮影をパーにしてはならない。急いでジャージを履い
てジョギングをして本屋に向かった。我々は走りながらデーンといかに、カメラクルー
(彼らは機材等あるのですぐに家を出れなかったが)到着するまで時間を潰すか考えた。
困った。昨日皆にパニックに落ちてはいけないと言った分、この事態を解決する責任を感
じた。凍った雪の中に運動靴がザクザクと音を立てる。走って10分、それでもデーンを
20分待たせる事になる。店に入るなり挨拶をして事情を説明した、下手に謝って足を取
られてもいけないと思ったからだ。しかし、このデーン、別に怒ってもいない。「実は月
曜に身内に死があり、以来初めて一人で時間を過ごしていたんだ。」と、彼なりのしんみ
りした声で話だした。唐突な話しの展開に戸惑ったが、話しを聞いた。この古本屋は昔、
肉屋だったと。そこのオーナーが1920年頃に自分の肉の機械で自殺か事故死して以
来、3件の店に分裂したという。左隣が今はピザ屋、右となりがコーヒー店。この店は呪
われていると言う。本人はこの店で深夜勉強している時に幽霊が出たと言う。デーンは回
りの環境に繊細だ。彼は10年間目が見えず、そのため表情が強張っているらしい。頭痛
が原因だったらしいが、最初の医者は頭痛が結果と診断したため、長い間未治療のまま
だったらしい。日曜の真っ暗な早朝。雪に覆われた店の中で聞く変わった話。彼は10年
間のタイムギャップを体験したと言う。全てが形、姿を変え、懐かしいはずのキャン
ディーの包み紙が全く変わっている。フリークアウトしたという。話は本、映画と進む。
あっと言う間に7時になり、JP、JB、カレンは現れた。デーンは13年以上デレックと友
達らしい。

しかし、これがこの日の唯一のトラブルではないという事は誰も予測していなかった。

JPはカメラをテストしてから、ドリーのレールも引いてカメラのセッティングも終了し
た。遅刻した割りには良い出来だった。さてカメラを設定して彼はカメラを動作させよう
とした。しかしカメラは動かない。JP は3時間寝れば仕事は充分こなせる冷静な面があっ
た。一時間たって、カメラを新規ゼロ設定したりあらゆる手を打っても動作しないので、
JPは少しづつあせった。JB もあらゆる事を試したが、カメラは動こうとしない。内部の
検査指令は全て番量という表示しかしない。HDTV カメラが壊れた。それからもう一時間
試すが、機械が動作しない。日曜だ。大学も閉まっている。HDTV カメラがもう一台大学
にはあるはずだ。アルネとケルスティンに電話合戦をしてもらうしかない。

ケルスティンはこのプロジェクトのためにかなり大学にお世話になっていた。HDTVカメ
ラ、照明(5kw x 3、2kw x 3、250W x 5 その他)なのでこれ以上我
がままを言いたくないという時の故障だった。無責任な役者は言った。こういう場合は一
番可愛がってもらってる教授に即連絡するに限ると。それから電話の嵐が始まって、誰か
がもう一台のHDTV カメラを借りている事がわかった。彼の住所を突き止め、カメラを取
りに行ったのは一時を過ぎていた。

僕はこれで撮影がやっと始まると喜んだ。待ち時間がやたらと長いので古本屋で面白い作
品を見つけては、買っていた。買う程ではない物はその場でぼんやりと読んだ。普段読ま
ないような本にも目を通す良い機会だった。

JPの顔にはかなり血が上っていた。2代目のHDTVカメラの設定システムがブロックさ
れてるらしくメニューの変更がきかない。画質とサイズ企画の変更ができない。何かの
コードでブロックされてるらしい。さすがこれには皆ダウン。これでは撮影ができない。
JBとチャッドのアイディアでメモリースティックをチャッドの自宅にあるソニーDVから
取ってきて最初のHDTVカメラからのデータを第二カメラに移して撮影開始したのが午
後の3時だった。ゆっくりと日が沈む中彼等は何とか午後の撮影計画をこなした。この本
屋本当に呪われているのかもしれない。デーンが過去深夜勉強している間に盗難防止装置
が何回も自動的に動作したという。1920年代の肉屋の場合、電気で動作する肉を切る
機械が誤動作したと推測されている。電気系呪いの場所なのかもしれない。まさか。

3月5日 (月)

撮影三日目は技術的には全くスムーズに運んだ。役者レックス、フレッド、キャスリンの
3名の撮影も開始し、セットの中がかなり賑やかになってきた。

爺さんを演じるフレッドはこのプロジェクトに喜んで参加していた。細かい監督達の指示
を追うのは少しつらそうだが、これは他の役者も同様のようだ。フレッドは自分の78年
間の人生の内過去の10年演劇にはまっている。その前は大学でジャーナリズムを教えて
いて、現役時代にはマリリン・モンローやウィリアム・フォークナー等の取材にもあたっ
た事がある。フレッドは昔ドキュメンタリー撮影をプロデュースした事があり、映画撮影
は昔からの夢だった。78歳にして短編映画の準主役に決まったのだった。喜んで7歳の
孫娘まで撮影の現場に連れて来た。アルネはフレッドの表情に満足していたが、彼の台詞
のタイミングに苦労した。

技術的に物事がうまく転がり始めると、今度は内輪で火花が飛んだ。カメラクルーと監督
アルネ、ケルスティンコンビの間に意見の不一致が出てきた。アルネは頭の中ではカット
で全てを考えていた。ケルスティンは役者のその場の一瞬を中心に考えていて、カメラは
全体の流れを重視して考えていた。22歳から27歳の彼らは経験不足の分論争でシーン
を解決しようとする。完璧主義のJPはカメラワークが不満だといつまでも調整を続ける。
JP は殆ど無言で朝から晩まで働いている。ケルスティンとアルネはカットの一瞬のために
いつまでもシーンを繰り返す。役者のレックスは皮肉を飛ばし続ける。レックスは大学ス
テージの演劇では主役等もこなしてき、他にビデオ撮影などもしたが、これほど凝った撮
影に参加するのは初めてだった。「だからさあ、アルネとケルスティンは細いけど、いい
んだよな。」と彼は呟いた。レックスは週末にシカゴのオーディションに行った。シカゴ
の有力シアターの関係者が皆集まり、新人を見るという所である。そこで彼は最終ラウン
ドまで残り、来年大学を卒業したら連絡するようにとシアターの関連者から言われたと言
う。レックスにはタレントとジョン・トラボルタ系のルックスが揃った役者だった。彼の
先祖はドイツ系、アイルランド系とアメリカン・インディアン系だという。

3月4日 (火)

カメラマンJPははりきっていた。外部撮影で、空間に束縛されずに、自由に撮影できるか
らだ。空は晴れていて晴天からは斜めに太陽の光りがまぶしく射していた。雪景色のアメ
リカ中部のダウンタウンを歩く郵便配達員を撮影するには最適だ。アルネ監督は相変わら
ず設定を決めてからああだ、こうだと注文を出しているが、外部撮影とあって、撮影時間
が夕方まで限られているので適度の所でまとめざるをえない。そこでJP は自分の撮影方針
を通そうと思った。しかし、アルネはなかなかショットを決めない。さらに犬がこのシー
ンに出てくる。この犬をいかに操るかが問題だった。それと雪の上を歩く郵便配達員。

僕は風邪でダウン気味だ。部屋の暖房が効きすぎて、喉をやられていた。外部撮影の日と
重なったのが不運とも言えよう。車の中でセーディーという名前の犬と一緒に撮影を待機
した。郵便配達の征服の下に長い下着を着ていたが、それでも長期外でぶらぶらしている
と寒い日だった。ファーレンハイト40度。先日よりは暖かい。

撮影の許可してくれた家の住人はアメリカの老夫婦。家の窓にはアメリカの旗が飾られ、
入り口の部屋にはケネディー夫妻の古い写真が大きな額縁に入っている。この老夫婦は心
よく家の入り口を提供した。本物の女性の郵便配達員が通過した。彼女と僕のツーショッ
トを皆が撮る。

アルネ監督はドリーに乗り、モニターを抱え込んだ。誰にも撮影の権限を渡してはならぬ
と言った具合に。時間が立つほどチームの緊張感は増した。アルネ監督は犬を自分でも
飼っている。最初はケルスティンが犬をドアから押し出していたが、犬があまりにも抵抗
するので、アルネが後から自分で犬の後ろ足を持ち上げ、ドアに滑り込ませて撮影をし
た。すると犬はいやいやドアから顔を覗かせた。

チャッドは子供二人を抱えて、大学に通学し、アルバイトをこなしながらも、プロジェク
トをサポートした。彼は友人のジョンと二人で一月に掲示板を見て、このプロジェクトの
参加を決めた。

プロダクション関係の仕事をインディアナポリスでしていた事があり、今でも近所の広
告、結婚式などを撮影、マックで編集している。ジョンは宗教とコミュニケーションを専
攻しているが、映画に興味がある。彼は特に信者ではないが、宗教、社会学、哲学等を学
んでいる。チャッドとジョンはドイツ語ができない。セットでは主にドイツ語が飛び交
う。それでもジョンはスクリーンショットの時間、コメントを真剣につけていた。ジョン
にとってはこれが初の撮影なので、語学が理解できなくても、撮影の全体像さえ掴めれば
良いと思っていたに違いない。彼は昼食を買出しに出たり、セットのブックカバーを得意
のアップルでデザインしたり、いろんな形でサポートした。

ジョンはこの日は運転手としても参加して、重いドリー等をトラックで撮影現場に運んで
くれた。ただ彼は取得単位と授業が多くセットにいられる時間が制限されていた。彼は経
験はなかったが、プロダクション関係の仕事をしたいという希望を持っていた。この大学
のメディア学部が2000万ドルの寄付金を貰ったと聞いて、最近転学してきたばかりだっ
た。ドイツ語を理解できなくても、プロダクションをサポートする全体の仕事に参加し、
映画を作る事に満足感を抱いていた。

時々顔を出す中の一人はブライアン。彼は運転を今は担当していた。音はマティアスとカ
メラアススタントのカレンが今はこなしていて、ブライアンは時々姿を現しては運転をし
た。チャッドは言った。「この近くの町で日本人の学生がかなり前に撃ち殺された。」近
道をするために囲いのないアメリカの家の庭を通過、英語の「フリーズ。」止まれを理解
できず、歩き続けた所を打たれたという。自分の財産を自分で守るという事なんだ、と
チャッドは苦笑した。

アメリカン・ブラックユーモア。

JPと僕は郵便箱に郵便を入れるシーンを撮影するためにアメリカの郵便箱が並ぶ町並みを
探しあてた。郵便箱が並ぶ家の人に許可を得て撮影を開始した。すると向かいの家のおば
さんが怒って出てきた。「他人の財産をかってに使ってなにごとですか。」二つ並んでい
た郵便箱の内一つは向かい側の家の物だった。彼女の手入れされていない白髪の長髪に苦
労のしわが表情を形成していた。怪訝そうな表情は変らなかったが、彼女は家に戻り、窓
から撮影斑を見つめた。ここでは郵便屋は車で配達をして回った。道路の片側に住人全部
の郵便箱があれば、一回走れば済む。アメリカ式シンプリシティー方式である。本物の配
達車の運転手は配達員に返送した僕を見るなり笑った。

「他人の財産をかってに使ってはならない。」とアメリカ中部独特のトラックに乗った人
が言ってきた。これは、役者が道を歩いて郵便箱に郵便の変わりにあらゆる広告を投入し
ている場面を撮影していた時だ。このカウボーイの出来損ないは「俺は訴えてやる。」だ
の「許可はとっているのか。」などと吠えた。カメラクルーはこの軽トラックに乗ったオ
ヤジの話をポカンと聞いていた。それが気に触ったのかさらに吠え出した。確かに、郵便
のアンソラックス・ビールス事件依頼アメリカ人の郵便という物に対して敏感になってい
るのかもしれない。ケルスティンが郵便局から許可を貰って征服を借りたという説明して
やっと黙って走り去ったが、いつどこにゆったりした大らかななアメリカ人は消えてし
まったのであろう。それとも「自分の財産は自分で守る。」というアメリカ中部特有のカ
ラーなのか。しかし、一目みれば学生の映画撮影だとわかるのに、アメリカ中部には余裕
がなくなっているのか。

僕は役者という事で常時セットにいるわけではない。隣の店に買い物に行ったりする。そ
の店ではアメリカン・トラッドな洋服が並んでいる。ラルフ・ローレンのセーターの安売
りだ。店内に入ると、アメリカン・トラッドの姿をした、デーブという50代の店員がい
た。この店員はちょうどレート・ショウのデビット・レッターマンと同時にここのボール
ステート大学に通学していたと話す。デビット・レッターマンは当時悪名高く、ワイルド
な学生生活を送っていたらしい。インディアナポリスのテレビ局とラジオ局関連の仕事に
片っ端りから出ていたという。その店でセーターとシャツを購入した。その後は図書館へ
行き、撮影記録を書こうとしたが、急に訪れた眠気に抵抗できずに居眠りをした。僕は一
人で先にアパートに戻り、ボストン時代によく食べたスパゲッティと出来合いのソースを
かけて夕食を済ませた。

3月5日 (水)

本屋内部ショットと本屋の前での撮影が行われた。この日は全てがすんなりと進み、日曜
に撮れなかった場面の撮影も実行した。トラブルのない一日が過ぎた。風邪にやられてい
るメンバーが数人出てきた。チャッド、ユウキにJB。疲れや、風邪にもめげずに、彼等は
夜中12時に大雪の中オールマートへ買い物をしに出た。

3月6日 (木)

昨夜かなり雪が降った。僕がこの映画の一番最初のショットに上からのショットがあった
らいいなと言った。無責任な僕はケルスティンに消防車を使用したいと申し出た。すると
不可能という言葉を知らないケルスティンは消防署に電話をした。しかし、雪が道路に積
もっているので撮影の手助けはできないと言った。雪は10センチ程つもっていた。3月
前半の新雪は太陽の光と共に溶け出した。

ブライアンは車を消防車が止まっているという所へ飛ばした。エルム・ストリートは長い
ためしばらく探したが、緑色の消防車は川沿いの橋の横に止まっていた。そこから橋の真
ん中に移動。「これは全くクレージーだ。」とブライアンは首を振った。消防員一人、カ
メラのJPと監督のアルネは消防車に乗り込んだ。高さ40フィィート約18メートルの高
さから町並みを歩く郵便局員の姿を撮影することにした。当初考えていた真っ直ぐな道を
歩く計画は枝が多く画面を遮るため断念し、道路の角を曲がって行く場面を撮影した。場
面を上下に動きながら撮影を試みたが、ステディーカムが安物だったため、振動を吸収し
きれず断念された。セットにはウォーキートーキーが無かったため、大声で叫んで連絡を
取るしかなかった。結果的には僕が消防車まで走り、上からの声を聞き取ってまた位置に
戻ると言った、ランニングエキササイズになった。JB が消防車の下に立ち、中継をした
り、かなり苦しいコミュニケーションの工夫がなされた。この消防署の二人はチームの我
がままを一時間以上聞いてくれた。マンシーという田舎ならではなされる業だ。

チーム夕方から夜まで、二日後の土曜に予定されたファイティング・シーンのリハーサル
を行った。主にどの位置からどのように撮影するという段取りであるが、スペースが限ら
れているのでカメラと役者の位置を確保するのが難しい。アルネは合計68ショットを撮
りたいというが、それは不可能に等しいと言えよう。ほっとくと直ぐに独創するアルネ監
督だった。

アシスタントのブライアン、役者のレックスと僕は夜スピークイージーに繰り出す。木曜
の夜にはビールがたった1ドルだ。キリアンとバッドが当日の1ドルビールだったが、キ
リアンはマイルドなエールでかなり美味しい。ビリアード台があり、ライブが鳴った。ス
ピークイージーは本屋の角の裏に位置するので、チームでも2回程夕食とビールに利用し
た。当店でアルバイトしているスコットはドイツの中学に年間通っていたことがあり、な
にとぞチームとドイツ語を話したがった。悪役のレックスとブライアンはビリアードに挑
戦。彼らはビールのジョッキを5杯を開けた。

3月7日 (金)

本屋での内部撮影だ。本屋の娘が会談を降りてくる所をショット。窓の外を歩くメールマ
ン。僕はまたも寒い外で待って、号令が来るのを待った。メールマンの征服を着て、その
上からダウンを着、2件先の控え室として借り切った開き店の入り口に立つ。風を避ける
ために顔だけ本屋方面に入り口から覗かせ合図を待つ。合図に合わせて、素早くダウンを
脱ぎ捨て、本屋へ向かう。これを15回も繰り返した。すると、パトロールカーが目の前
に止まった。3台も止まった。このマンシーの警官は暇なのかもしれない。またか、と
思った。僕は腕組みをしていたが、警察は両腕を開けと命じた。アメリカでは当たり前の
動作らしい。誰でも拳銃を持てる国だから仕方がないのかもしれない。両手を離すと寒い
と思った僕は反射的に腕を組みなおした。「Don’t do that.」という命令が出た。確かに
正式なメールマンの征服を着て店の影から顔を出して外の気配を伺っている姿は怪しい。
何通もの電話の連絡があったという。新たなメールマン乱射事件とでも思ったのか。チー
ムは駆け寄り、警察に説明をし、彼等は笑って去って行った。この郵便配達員の服装は郵
便局からの借り物でちゃんと郵便局長からの許可を得て撮影している。

3月8日 (土)

アルネは当日一番緊張していた。ファイティング・シーンの撮影を行う予定だからだ。ア
ルネはこのシーンのために映画を作ったような物だった。2月の後半に一回リハーサルを
し、アルネはJP, JBとカメラアングルの細かい打ち合わせを行ったが、実際に本屋内の限
られた空間で撮影となると難しい。アルネはこの撮影に充分時間を取る予定だったが、午
前中の本屋の爺さんのシーンが思ったよりも時間が掛かった。

レックスはこの撮影プロジェクトに力を入れていた。大学で演劇を専攻していて、大学の
プレーでは主役を何本かこなしていたが、映画にはあまり出ていない。学生プロジェクト
の簡単な物にしか出ていなく、とくにファイティング・シーンの撮影は行っていない。
レックスは悪役で投げられるほうだ。このようなシーンは投げるよりも投げられるほうが
難しい。学校でレスリング、アメフトで鍛えた体で空中一回転をこなすのはレックスに
とって然程難しくは無かった。「ユウキさえちゃんと投げてくれれば。」とレックスは
言った。カメラのJPもフリースタイルで撮影するのを楽しみにしていた。格闘シーンの撮
影。どのようにこなすかが問題だ。頭に血が登った表情、空中回転のシーンに床に叩きつ
く場面。色んなアングルからの撮影が可能だ。アルネは昔テクワンドウをしていた事があ
り、格闘の支持にも細かい。レックスを投げるタイミングを計るのに気を張った。

ファイティング・シーンはかなり時間が掛かった。外が暗くなり、照明だけではそれをカ
バーできなくなってきた。特に窓の外の色に青みが掛かってきた。JPはこの光ではもう限
界だと思った。ファイティング・シーンは最終日の午前中に持ち越す事にした。

チャッドはクルーを常時サポートしていた。彼は車での送り向かい、昼食の用意、撮影上
必要な小道具の用意と全部手配してた。この日、カメラクルーとチャッドは 飲み屋スピー
クイージーに飲みに行った後、夜中に彼等はウォールマートに買い物に出た。

3月9日 (日)

ファィティング・シーンの録画は午前中に終了した。アフリカ系のマーシャルは280パ
ウンド、約140キロの体重の巨体だ。本屋のなかで暴れられるような体ではない。暴れ
たら、本屋がくずれてしまう。僕は67キロ、普通だったらとても投げられないが、これ
は映画の一場面。狭い本屋の中で巨体に技を駆けるのである。用心して撮影は進められた
が、昼の最終シーンの撮影には間に合った。

アン・ジョンソンはデザイナーで、このストーリーのおばさん役を買って出てくれた。彼
女のドキュメンタリーをアルネとケルスティンは撮影した事がある。彼女は演劇課を卒業
していて、久しぶりのシーンを楽しみにしていたが、撮影がこれだけ時間が掛かるものだ
とは計算に入れていなかった。半日は潰れたであろう。他の役者達との会話で時間を紛ら
したが、何時か会話も途絶えた。シーンに表れるセーディーという犬も退屈しきってい
て、なかなか言う事を聞かない。いかにも眠そうで退屈している犬の表情がおかしい。

撮影の終了後本屋は組み立て直された。取り崩したポルノコーナーを立て直すのには時間
が掛かったが、11時前にはレックスの家で酒盛りが始まる。なんと一人で一軒家に住ん
でいる。マンシーの田舎だからなせる業だ。JPがギターを弾き、僕がベース、皆が歌っ
た。「ドイツ人がノック・ノック・オン・ザ・ヘブンス・ドアって歌ってるぜ」とアメリ
カ人達も大喜びだ。朝3時半まで酒盛りは続いた。

3月10日 (月)

JP、JB、カーレンはチャッドに飛行場へ送られる。現地スタッフのチャッドはやや落ち込
み気味だ、一人取り残された気分らしい。彼はマンシーでこれから3年間大学に通うの
だ。チャッドは僕と帰り道に今回の映画制作の解析をした。何が良かったか、どうしたら
もっとうまく行ったか。

3月11日 (火)

レックスは高校時代の友人に会うために実家に戻る。アミシュ、アメリカの民族で一切電
気、テレビ等の近代的器具を使用しない民族が住む地域に住んでいるというので僕も同行
することにした。バンカラなレックスの工事現場で働く弟ライアンが住む家に寄ってか
ら、レストランに出動。そこにはアミシュの人々が夕食に来ていた。僕は写真を撮りた
かったが、アミシュの多くは写真をとられるのがあまり好きではないらしい。地元のレッ
クスに言われ写真を撮らなかった。

3月12日 (水)

チャッドに飛行場に送って貰う。JPは靴をチャッドのトランクの中に忘れてたのでこれを
僕が持ち運ぶ。クリーブランド行きのデルタ便は役50人ぐらいしか乗れない小さな
ジェット機で僕はバックパックとそれにくくり付けた靴を座席の下に置いた。すると雪の

中で歩いて濡れた靴からは異臭が立ち上り始めた。僕は焦って、持ち合わせの新聞
を靴の中に詰める。しかし、この効果は限られていた。クリーブランド乗換えの際、僕は
ニューヨーク便の入り口に立つ女性に聞いた。ビニール袋はないかと、靴が匂うと。対処
しないと機内で迷惑になると。彼女はマガジン販売店か清掃員に聞くといいと勧めてくれ
た。ピザ屋、清掃員、バーガー屋、皆パスだったが、マガジン屋のお姉さんは雑誌を買え
ば言いと言った。GQのハリウッド版が目に止まる。これを買って、ビニール袋を2枚
貰って、靴の上に被せた。入り口の女性は「よかったですねえ。」と。僕は「全く、これ
は友人が忘れてったんですよ。全く。」と笑って機内に消えた。


フレッドとマリリン・モンローとのインタビュー
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