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またまた行ってきました。映画祭。やれやれ、大変でした。今度はミュンヘンというドイツの南にある町でした。電車で4時間以上かけて南下したわけですが、ここはバヴァリア地方。北はプロイセン系であるが、それに常に文化的に、民族的に対抗して来た地区です。日本で言えば関西と関東の差でしょうか、バヴァリアが関西に当たります。強い方言に誇りを持っています。また大都市にも関わらず観光客を除くと外国人が比較的少ない所で、同じドイツ人でも他地域の人間はすぐには溶け込めません。  

そんな町の一番伝統のあるホテルに泊る事になりました。バイヤリッシャー・ホーフ。何故か僕の部屋416はエレベーターの向かいの部屋ではなかった。普段僕みたいな身分だと大体どんなホテルでも、エレベーターの向かい側の一番安い部屋と決まっているが、今回は何故か416号室に向かうと、間違えたらイブニングドレスを着た、マレーネ・ディトリッヒがでてきそうな壁にはシャンデリア、床は豪華なじゅうたん、ゴーシャスな廊下を突き進むと、スイート415−417という看板の出ているドアの前に立った。鍵を開けると、今度はパリの町並みの細い通りを偽装した廊下に出た。ベンチを装った赤いソファ、店先の日よけに似たドアの上の飾り、そこにはパリ館、航空館と、デラックス館があった。僕の部屋はパリ部屋で(うっ、ロマッテンティック)、入ると1930年。部屋の食卓部分とリビング寝室を分けるようにカーテンが掛かっている。壁中に色んなパリらしい絵が飾られいる。洗面器もバスタブもおそらく1930年代から変わっていないのであろう。しかしこの風呂桶は不便だ。昔風のバスタブなので、桶に足が4本ついていて、とにかく回りの壁との間に隙間がある。シャワーを浴びると壁とバスタブの隙間から水がもれてしまうので、床一面びしょびしょになってしまう。ならば最初から風呂に入ればいいのだが、先週半ズボンをはいて自転車で転んでしまい、弁慶の泣き所は瘡蓋で覆われている。だからシャワーしか浴びれない。ベルリン映画際ではホステルに泊まったが、これこそ天と地の差だ。向かいの部屋を覗いたが、大理石の噴水が部屋にあった。  

肝心な映画際は、映画祭は何故か毎回疲れるのであるが、今回もやはり疲れましたが、日本からは市川純さん、清黒澤さん、高山由紀子さん、内田けんじさんの4人の映画監督さんに藤原氏というドキュメンタリーの監督が訪れてくれました。高山由紀子さんの歌舞伎を扱った「娘道成寺」は日本で夏から公開され、内田けんじさんの「運命じゃない人」は7月16日から日本で公開されます。毎日監督さん達とお酒をのみにでかけ、昼までごろごろして、ホテルのプールに行き、サウナに入り、或いはイギリス園でジョギングをし、それから映画際に向かうという毎日を繰り返していました。  

この映画祭ではライナー・松谷という日本人の父を持つドイツの映画監督が映画の紹介を行いました。彼はヴェスパのようなミニバイクで会場から会場へと飛ばし、かなり後ろの座席は怖かったのですが、暑いミュンヘンの風を切って走るバイクは久しぶりに気持ちが良かった。もうバイクの心地よさを完全に忘れていたので新鮮でした。  

最後にわかったのですが、あるプロデューサーが飲み会の終わりに僕と同じ4階でエレベーターを降りました。彼はそのまま真向かいの部屋に進行。恐らくその部屋が僕の部屋だったのでしょう。さて次の映画祭は又ホステル8人たこ部屋か、それとも。。。  

2005年7月10日