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イスラエルで撮影 2007年12月

マシーンがんを抱えた護衛が立つテルアビブ空港。ゲートの軍服を着たまだあどけない高校を卒
業したばかりのような女子にパスポートを渡す。「何をしに来たんですか。」「映画の撮
影です。」にこり。ここで一応親切な対応をしておかないと、このまま送り返された大変
だ。プロダクションの人にはそう答えればいいと言われていた。「滞在期間は?」「2週
間。」「それではどうぞ。」と笑顔で送ってくれた。

テルアビブ市内。豪雨。海岸を歩いていたら急に豪雨に襲われ、ビーチ・バーに非難したら、
バーのビニールの天井がゆがんでに滝のごとく雨漏りしていた。この砂漠に囲まれている
地域でこれほど水に恵まれている地域は少ないのかもしれない。海岸は長く広く、雨も降
り、川は流れ、雲が引くとサンサンと冬でも太陽が光り、人々はサーフィンなどをするら
しい。気温も20度前後と泳ぐのには寒いが、散歩やジョギングには最高である。ホテル
が海岸沿いに並ぶ。人々はフレンドリーで、ファッションのセンスがいい。

バーで雨宿りをしながら椅子のクッション等を雨漏りから非難するのをちょっと手伝う。バーの
お姉ちゃんが電話でタクシーを頼んでくれたが、ハナカーという祭日と雨が重なり、全く
駄目だった。すると雨宿りをしていた叔母さんが「乗ってらっしゃい。」と誘ってくれ
た。小さい車の中ではクラシックが鳴っていた。この国の人はクラシックが好きなのか。
一緒に雨宿りをしていたアメリカ人のお兄ちゃんをホテルで降ろし、その後僕をアパート
に送ってくれた。大家との鍵の受け渡しが待っていた。車を降りては急いでアパートに戻
り、ドイツのチョコレートを持って渋滞にはまっていた車を追っかけてお礼に渡すと大変
喜んでくれた。プロダクションのスタッフに買ってきたお土産である。アパートの鍵を受
け取り、荷物を置いて外に出ると何となく東京のような感じもしないではない。雨上がり
の湿度のせいか、狭い道路のせいか、ドイツ人より明らかに小柄な人間のせいか。庭には
オレンジが成っている。食用というよりは玄関口の飾りになっている。

あまりイスラエルの事は知らない。アメリカに住んでいた人ならハナカーという祭日を知ってい
るでしょう。メリー・クリスマス、ハッピー・ハナカーあんどハッピー・ニュー・イェア
というような訳けの分からない年賀状をもらったことがある。ユダヤとクリスチャンを両
方カバーした方が安全という事らしい。死海、エルサレム、テル・アビブ、宗教のメッ
カ、アラブ、領土問題、ゴーラン高原、キブツという印象の前に危険というイメージが先
立つ。ロスで爆発した粉々になったバスの残骸がUCLA大学の前で展示されているのを大
学生の頃見たことがあり、かなり抵抗感があった。過去にも1回テル・アビブでの撮影の
仕事があり断ったことがある。英語の語学研修ビデオということだったので然程興味がわ
かなかったのであるが、今回はなんと映画の撮影だったので、もう喜んで来てしまった。

ミスター東吾

アパートの隣人は東吾さんという役者だという。東吾さんとは前にも1回同じ映画に出ていた
が、撮影日が異なっていたので面識はなかった。彼はハリウッドの大作にも出演していて
合って見たいなとは思っていたが、いざとなると何となく気が引けた。恐る恐るドアを叩
くと、白髪の紳士が立っていた。初日は東吾さんのアパートの一室を借りる事になってい
た。なんと光栄ではないか。僕が入るはずのアパートにはまだ他のドイツの女性プロ
デューサーが住んでいた。

それではということでさっそく「大波」という日本レストランに東吾さんと繰り出した。ビー
ル、日本酒、天丼、寿司、テル・アビブで一番有名なレストランは大変おいしい。まあ、
これは悪魔でも日本で日本食を食ったのが一年も前の人間が言うことなのだが、日本人の
役者と一緒に日本酒を飲んだのが良かったのだろう。今までそういう事はなかったからで
ある。

東吾さんは前から合ってみたかった人である。何せ「ラスト・侍」、「アイズ・ワイド・シャッ
ト」「メモアーズ・オブ・ア・芸者」等等多くの国際的プロダクションで活躍している役
者である。イギリスで役者としてなんと30年近く食っているのである。そして彼の凄い
所は役者だけで食べているとい所であろう。高校時代からの夢の職業で、日本では黒テン
トという劇団に入っいたという。

二日目からはプロデューサー・オダが住んでいた隣のアパートに移った。東吾さんとは隣同士で
よく一緒にコーヒーやビールを飲み、時々朝食や夕飯を共にした。彼が料理をしてくれる
のである。食べたエスニック鳥スープは中々の出来栄えであった。

東吾さんはなんとヘブライ語で演じなくてはいけない。僕の役も初期の予定ではヘブライ語だっ
たのであるが、テル・アビブのアジア・レストラン内では実際にはフィリピン系の従業員
が英語を話している場合が多いいという事で僕の台詞は全て英語になった。今年の夏にベ
ルリンでオーディションがあったのだが、その時には台詞をヘブライ語で4シーンも丸暗
記して行った。監督達が録音したMP3の台詞を元に、耳に頼り暗記したのだが、最終的に
ヘブライ語でなくなった時にはドット肩から重荷が降りた。東吾さんは数週間前からテ
ル・アビブに来ており毎日プロのボイス・コーチに通い、台詞を暗記していた。僕:「そ
れでは僕は今日は死海に観光に行ってきますので、頑張って下さい。」「お前はヘ
ブライ語勉強しなくていいなあ。いや、でも楽しいんだよ。ヘブライ語。」と返事が返っ
てきた。当日の夜、僕はヘトヘトになって観光から戻って着たところ、ビールを一緒に飲
んだ。「明日はそれでは僕はエルサレムに観光に行ってきますが、ヘブライ語頑張って下
さい。」「お前はいつかばちが当たるなあ。きっと。でもねえ、ヘブライ語って面白いん
だよ。うん。」と言ってビールを飲み干すのであった。

英語の台詞も、あまりにも日本人の数が少ないので、日本語訛りの英語という概念がこの国では
定着していないらしい。僕が普段話す英語そのままで録画という事になった。なんて楽を
しているんだろう。。。

エキストラ

エキストラとは実はセットの中ではあまり存在感がない。つまり撮影者からみればエキストラは
その辺のセットの棚や椅子以外の何者でもないのである。つまり必要になればとにかく
引っ張ってでも早くセットに必要だし、いらない時はとにかく早くセットから除きたくな
る物なのである。エキストラは人であるので、飲み物や食べ物を与える事になる。極端に
言うとそんな扱いを受けやすい大変な仕事なのである。

エキストラといえども中にはそれを仕事にしている人もいる。しかしテル・アビブで撮影の映画
に参加してくれたエキストラは皆映画経験がない、イスラエルに住んでいる日本人4人と
韓国人二人だった。半分は仕事を休んで出演してくれているのである。僕は彼らに合った
途端にいったい彼らは何故イスラエルに住んでいるのかが知りたくなった。結局他のス
タッフは急がしそうにしているし、彼らとセットで殆どの時間を費やす事になった。

役としては彼らエキストラと僕では殆ど一緒だ。出る場面も一緒。唯一の違いが僕には台詞があ
る事。我々はこの映画の日本食レストランのスタッフで太ったイスラエル人が相撲にチャ
レンジする所を暖かく見守るのである。衣装は黒でどちらかというとレストランスタッフ
というよりはカンフー的な感じがするが、着ていて以後心地がいい。なかなか居心地のい
い衣装というのはないのでこれは満点。太ったイスラエル人が相撲を取るという映画は無
論コメディーである。恋愛コメディーでちゃんとヒロインもいたりするのである。

撮影初日は学校の体育館に相撲の土俵を設置、イスラエル国内相撲選手権の場面だ。撮影待機中
暇なので韓国対日本でサッカーをした。外には凸凹な芝生があったので僕は21歳のヒロ
君と組み、相手のティオン19歳とイアン33歳と対戦した。4対1で負けてしまった。
最後には若きティオンが見つけたかなりしょぼいゴムマリを屋根上に蹴ってしまい、試合
は終了。一週間後に再戦となる。今度はラムレ市の狭い路地。一方にはイスラム寺院があ
り、反対側には住居でテラスから小さな子供たちが応援してくれている。ティオンは汚い
テニスボールをどこからか見つけてきて、我々はサッカーをした。しかし玉が小さく、道
が凸凹だったので、サッカー・ベースボールみたいなのに切り替えた。周りには時々近所
の人々が怪訝そうに我々東洋人の集団を見つめながら路地を通過する。大人の東洋人が昼
からボールでゲームをしている光景等一生これか見る事はないであろう。汚いテニスボー
ルは水溜りにはまったりでビショビショだ。イスラム寺院の歌が鳴る。今回も若きティオ
ン君がテニスボールを有り余ったエネルギーで寺院内の壁を越す大キックで試合を余儀な
く終了させた。韓国と日本の青年達はキブツで一年働いていて、残りの二人の日本人はイ
スラエルの女性と結婚して住んでいた。

サイトシーイング

イスラエルはたった2週間だったのだが、やはり異文化での体験とはかなり色々ある。

死海への旅をもう少し詳しく述べると、どうもイスラエルでは時間を正確に表示するという事は
あまりないようだ。インターネットで探してもまずバスの時間がよくわからない。それは
確かに僕の探し方がまずいのかもしれないが、どうもヘブライ文字が全く読めないのは痛
い。朝セントラル・バスステーションにたどり着くと、いきなり一時間待ちとなった。バ
スに乗ってからエルサレムまではたった45分で行くのだが、エルサレムからはなんと2
時間半掛かるという。死海までは砂漠の中を走り、死海が見える所には1時間強でたどり
着くのだが、どうも海岸まで出れないらしい。バスの運転手に死海を体験するには何処で
降りたらいいか聞いても教えてくれないのでバスに乗っている人に聞き、エンゲディとい
う所まで行く。そこにあるのはキブツという農園組織だけだ。見渡す限り、死海と絶壁の
ような山と道路とバスの停留所、というか単にバスが止まっている場所で標識も何もな
い。地球でもっとも低い所のバス停留所とはこんな物か。マイナス400メートル。は
て、この場合海面に満たない山を山と呼べるのであろうか?まだ開いているバスのドアに
向かってドライバーに向かって「帰りのバスはいつ走っている?」と聞いても「一時間お
きに走っている。」「あのいつ出ているんですか?」と聞いても「一時間おきだよ。あっ
ちから」と言い残し、ドアを閉めバスは走り去ってしまった。全く半分砂漠みたいな所の
ど真ん中にたった一人だ。2,3人一緒に降りた人はキブツの方に向かってあっという間
に消えてしまった。しかしこんな所の農園でいったい何が成るのであろう。仕方なく帰り
のバス停をチェックしに行く。帰宅の方法を先に確保しといたほうが良い感じがした。

「あっちから。」という言葉を頼りに歩くとちゃんとしたバス停があった。そこには二人の大学
生らしき女の子がいた。完全な米語を話していたので、おそらく冬休みで訪れてきている
のだろう。一人は拾ったという塩のかたまりを見せてくれた。「水に入った?」と聞いた
ら。指先を見せて「これぐらい」と言った。そうか、指を水面に突っ込んだだけか。「帰
りのバスの時間知ってる?」と聞いたら、女の子はプリントの紙を渡してくれた「もうい
らないからあげる。歩いて10分ぐらいの所に水に入れるようになっているよ。」とも
言ってくれた。そうか、と言いながら彼女たちと別れて、一人道沿いを歩いていく。怪し
げな船が海岸からちょっと離れた所につけていた。怪しげというか、淋しくというか、ヨ
ルダンとイスラエルの間の湖にいったい何の用があって船なんかあるのであろう。

車が時々走る道沿いを歩いてやや開けた所に出た。ちょっと地方の海水浴場という感じで一応更
衣室もある。とりあえず水面の所まで歩く。かなりの坂を下りなくては水面にたどり着か
ない。死海の水面は近年どんどん下がっていて、50年後には干乾びてしまうという。農
場の用水として流入するはずの水が使われているからである。でも下には水のシャワーも
あり、これならばと着替えに行く。1シェケルを支払い水に入る。ねっとりした水だ。ま
るで油に使っているようだ。傷らしき所が体でヒリヒリする。目に入ったらたまんなく痛
かった。鼻にでも入ったらとんでもないだろう。自分も入っている事により少し塩分に貢
献しているような気がした。横になってもうつ伏せになっても頭を上げたまま浮く。話で
はきいていたもののなんか嬉しい。実は遠くて面倒だなあと思っていたのである。来てよ
かった。10分程漬かっていると本当に塩付けになった感じがする。泳がなくても浮いて
いるのでだんだん体が冷えてくる。水面下の石がクリスタル化した塩で尖っていて歩くと
痛い。

日向ぼっこをしてもう一回水に入り、今度は証拠写真を撮ってもらった。停留所の女子大生がや
けに親切だったのでまた英語を話すアメリカからの女子大生に頼んだが、短パン一つ履い
たおじさんに頼まれたせいか、怪訝そうな顔をしながら撮影をしてくれた。シャワーを浴
びて出た。なんせ2時過ぎのバスに乗りたかったからだ。着替えて路上を歩いていると、
怪しげなバンが道路の反対側で止まった。いかにも怪しい黒い窓の付いた車である。窓か
ら毛むくじゃらの手だけが覗いて、おいでおいでとサインを出している。無視して先にバ
ス停留所まで10分歩く。しかしバスはいつまでたってもこない。留所で25分ぐらい
待っていると先ほどの怪しげなバンが来た。「どこまでだ?」「テルアビブだ。」「乗っ
てけ。」「いくらか。」「いいから。」いいのなら乗ろうと乗ったのだが、乗って2分も
するととにかくタバコ臭いのに閉口した。乗って3分もすると、もう道と片側は山もう片
側は水というどうにもならない所でオヤジは言った。「テルアビブまで600シェケ
ル。」何?そんな話は聞いていない。バスだったらその十分の一だ。しかし殴るわけには
いかない。という事で自分のバックパックを持って、時速70キロで走っているバンのド
アをおもいっきり開いた。減速してくれるだろうと思ったからだ。まあ断固と乗ってやら
ないぞという表現をしたかったのかもしれない。その辺は僕もいったい何をしたかったの
か自分でもわからないが、この急な反応にドライバーもびっくり。急ブレーキをかけた。
僕はさっさと降りた。そしてバス停まで走って戻った。「お前はクレージーか。」とドラ
イバーは怒ってバンはユーターンしまたエンゲディの方に戻っていった。

僕は再びバス停留所で待っていた。20分がたった。大型バスが数台か通り過ぎるが、それらは
どうやら南からの塩水保養所の観光チャーターバスのようだ。参ったなあ、しかしここに
はユースホステルがあるみたいなので、そこで泊まるかと思っているとまたあの怪しげな
バンが来た。しかし600シェケルにあのタバコの臭いは断然拒否と思った。するとすぐ
にもう一台のバンが来た。人が10人ぐらい乗っている。「何処行くの?」「テルアビ
ブ。」「60シェケル。」「いくら?」と聞きなおした。「60。」「シックス、ゼロ
か。」「そうだ。」随分ひつこく値段を聞くやつだなと思われたに違いない。帰りに止
まった休憩所で今度は果物屋でぼられたが、まあ果物ごときは仕方がない。

家について気が付いたのだが、足の裏をかなり塩のクリスタルで切っていて、一部出血していた
が、傷はあっという間に治ってしまった。よく消毒されていたのであろう。アトピーなど
にも効くらしい。