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マルクス・スターン

ボストンに来て初めて演劇クラスを取得して2年がたった。ケンブリッジ社会センターの演劇
の授業は全部こなしてしまった。こうなると、近場ではハーバードの演劇クラスしかな
い。ハーバードにはイェール大学のように有名な演劇学部はないが、アメリカン・レペト
リー・シアター(ART)と言って、東海岸ではかなり名が通った劇場がある。ここで新
作が試されられ、ニューヨーク・ブロードウェイへと渡るか否かが決まる。つまり、多く
の有名な俳優が、若し頃ここの舞台に立った事がある。さて、ART劇場がケンブリッジ
にあるせいか、ハーバード大学と交流がある。ハーバードの演劇の授業を取ると、このア
メリカン・レペトリー・シアターの監督や俳優の授業が受けられるのである。それはハー
バードの一般学生に限らず、夜学のコースを取っても同様である。この夜学のコースは社
会センターのクラスの4倍近い値段がする。一学期で800ドル。参加資格は中級コース
までは誰でも登録すれば得られるようになっていて,ちゃんと成績も発行してくれる。

さて、この授業に演劇仲間ポール(彼も同様社会センター全てのクラス網羅していた)と申し
込んだのは良かったが、肝心の彼はアイルランドに急遽帰国することになった。ずうっ
と、演劇コースを一緒にとっていて、近くに住んでいたので、土曜の午後など、よく一緒
に昼飯を食いに行ったのに残念だ。初クラスは中級コース。さすがに初心者コースは避け
たかった。先生はケンブリッジのスタン先生如く年配のお婆さん先生だった。童話に出て
くるようなやさしそうなお婆さんだ。彼女は役者さんで、監督の経験がない。だから、授
業もどちらかと言えば生徒が選んだシーンの流れに任せてしまう。インプットも役者観点
の物が多いい。ARTの若い助監督がその分時々援助しに授業に参加していてアクショ
ン度をあげようとしていたがうまく進まない。原因はウィーラー先生は授業中に昔話に流
れてしまう事が多いい。「当時ねえ、アル・パチノがここで、ねえ。まだ若くてねえ。」
から数年前に彼女の旦那デビット・ウィラーの脚本クラスの授業にベン・アフレックと
マット・デモンがいた昔話等をする。「彼らはねえ。本当に、とにかく最初はここで色ん
なシーンを試してねえ、だからそうそう、皆さんも、クラスのジョナサン君のように自分
の作品を書いている人はどんどんこの機会を使ってクラスでお披露目してくださいね。」
と言って授業に入るのかなと思うと。「彼らはグッド・ウィル・ハンティングの最初の
シーンをここで試してから、自分達が主演じゃないといやだと主張してねえ、脚本だけを
買うという話しを断って大変でねええ。今度クリスマスにここへ来た時に会うんです
よ。」うーむ。授業が。。。

そんなこんな授業だったが、参加者の何人かと友達になった。エリンというハーバードの学生
とマーチンというMITの学生だ。エリンは化学の学士をすでに獲得していて、今回は文学
を専攻している。マーチンは経済専攻でMITの演劇部に所属していた。やたらと体中にピ
アシングをしているパンクな姉ちゃんや、かなりぶっ飛んだ脚本を書いてきた鉄道のソフ
ト・エンジニアのお兄ちゃん(ジョナサン)等もいたが、何故か、このクラスは印象が薄
い、それは実は彼女の授業はスタン先生で習った事の繰り返しでもあったからだ。授業の
スタイルも似ていたためかもしれない。一番印象的だったのは、僕がドイツの独裁者の
シーンを書いて演じたときに「この村の勇士に呼びかけます、父国のために立ち上がるの
です。我々の未来のために。我が運命のために。」「我が運命」で声を上げた時先生が
ビックリして椅子から飛び上がった事があった。

数年後にこの先生と偶然ロンドンで巡り合った。僕が彼女を見かけて話しかけたが、彼女は私
を見るなり「ユウキ。」と覚えていてくれた。2年も前に半年間彼女の授業を取っただけ
なのに。実は僕は彼女の名前を忘れていたので話しかけたのは良かったが、その場を誤魔
化すのに冷や汗がたらっと額を流れた。彼女の授業にはドラッグ・クイーンを演じたアフ
リカ系の大学の事務で働くお兄さんや、ちょっと突っ張った金髪のハーバードのお嬢さん
等参加者にも幅があったが、何故か皆の興味もばらばらで、前に取ったステージ・クラス
に比べると熱気がかなり不足していたような気がする。授業料が高いからさらに参加者に
やる気があるのかと思ったがそんな事はなかった。ハーバードの学生は一般授業料でカ
バーされているし、大学の事務で働いている人達には授業には大幅な値引きがされる。

授業が終わりに差し掛かると仲間のエリンはマルクス・スターンという上級クラスの先生の下
調べをしてくれた。マルクスは大学でも脚本等の講義をしていて、厳しいが、評判がいい
という話をしてくれた。それではとめげずに我々はその授業に出る事にした。Marcus

Sternはイェール大学卒で同大学で演劇を教えていた。その後にニューヨーク大学で
教えていたというかなりの経歴の持ち主。授業にはキャスティングされる。落ちたものは
参加できない。一時間目の彼のスピーチもかなり長かった。「皆さん、参加するに当たっ
て幾つかの最低条件が在ります。シーンは3分を越えない事、越える場合は前もって話し
合う事。スムーズに行うこと。発表されたシーンをディスカッションし、私の指示に合わ
せて再トライして貰いたい。3回まで同じシーンを繰り返せるようにしたい。2週間に一
回は参加者全員が発表すること。当たり前の話だが、台詞は完全に暗記している事。授業
以外でのリハーサルは条件。これに同意の方は是非参加して下さい。」ほう。久しぶりに
厳しい先生だ。張り合いがあっていいではないか。生徒の顔も期待にあふれていて、彼の
指示を一々ノートに取っている者さえいた。恐らくボストンでは彼の授業が一番有名なの
だろう。一時間目には簡単なシーンを手渡された。そのシーンの中のビートを探せという
問題である。つまりどこで呼吸を入れる間を取るかという事だ。この細かいビートがシー
ンにリズムを付けるという。この問題を解いて皆が発表する。それぞれのビートに解釈を
先生が求める。何故そこにビートを入れたか。どのようにシーンの意味が変わるか。ビー
トを入れる事によって続シーンへの期待がどう変わるか、キャラクターはそのビートに何
の意味を込めたのか。言っている事と言葉は一致するのか、心は違う事を考えているの
か。等々。そしてシーンを演じさせる。決してこうしろ、ああしろとは言わない。シーン
に対して一つのメッセージを頭に描き、シーンの緊張感を保たせる事を彼は教えようとし
ていた。彼の指示に従うと魔法にかかったようにシーンはどんどん変わっていく。最初は
素人の役者が演じていたシーンが次第にプロ級になって行く。

彼が急ピッチでシーンを解読するアプローチについてこれない人もいて、二回目からは2人す
でに減っていた。ニューヨークでモデルをしていたというブロンドのお姉さんが消えたの
には、男の参加者は皆溜息をついた。彼女が辞めた理由は、アル中っぽい役者と演技を組
まされたからかもしれない。その役者は過去(恐らく彼の20代)に色んなプロダクショ
ンの仕事をしたという話をしたがどうやら今は何をしているのか分からない40に差し掛
かる男であった。しかしその男も2回目からこなかった。まあ演劇クラスにはいろんな人
物が参加するから面白いとも言える。人間観察も役者の勉強だ。

シーンの選択にマルクスは慎重だった。あらゆるシチュエーションを皆に説明できるように、
喜怒哀楽の感情の表現をカバーできるように、シーンの展開が解析ができるようにと、
我々は必ず彼にシーン選択後その報告を前もって迫られた。宿題が必ずあった。初授業の
後にエリンとマーチンと3人でケンブリッジの本屋へ直行した。どのシーンにするかを決
めるためだ。僕が興味を持ったのはデビット・レーブ。デビット・マメットのシーンは幾
つか扱った事があったので、同じくパラノイド系ではあるが、男女関係のシカゴ/東海岸フ
レアに対して、レーブ氏の西海岸男の世界フレアを試してみたかった。相手はくじ引きで
決まったハーバード大学の不動産事務所で働く男。彼からメイルアドレスを貰い、シーン
を探すから決めたら連絡すると伝えた。脚本から3分の発表に相応しいシーン探しが始
まった。

相手役のジェイと彼のケンブリッジの事務所で会った。仕事が終わり、もう誰もいないオフィ
スで練習を始めた。シーンの朗読、プレー、最後にはアクションを入れる。私の役は、だ
らっとしたクールな男。映画監督で怪しげな女と男が出入りするアパートに住む。自分の
力を過剰意識している男。パラノイドで売れない役者の友人を操りそれを楽しんでいる
が、実はその友人の奥さんが気に入ってる。そのため辻褄の合わない論争に発展する。ア
メリカンなテンポの速いシーンだ。このシーンは第一回目のクラス発表で受けたが、そこ
で全く満足しないのが、マルクス・スターン監督。細かいシーンの解析が始まる。不思議
と彼の注意を忠告に自分なりに飲み込むと2回めに演じても皆注意して見てくれる。一回
目は面白くても素人が演じるシーンを二回見るのは苦しい。これは、プロでないと中々出
来ない事。台詞の面白さだけにおんぶできないからだ。マルクスの鋭い指摘に皆耳をかた
むける。どこでどのアクションに入ったのは何故か、ブロッキングがうまく行ってない
(聴衆に対して視界を自分達で遮る事)、相手にはかる目的の意図をテキストの途中で変
えているようだが、意図全体を変えずに主人公に対しての視点の角度だけ変えたらどう
だ、つまり、後半も同じ事を伝えたいのだが、手法を変えると言った形で。マルクスの駆
け巡る思考を完全に追うのは難しい。必死にノートを取っている者も数名いる。二回目の
発表を迫られる。指示が頭につまった状態で不安ながら発表する。皆効果を期待しこちら
に視線を注ぐ。血圧が上がる。自分で演じているシーンが観客の方面から見えるようだ。
まるで自分が演じているのではなく自分を遠くから操作しているように。プログラムされ
たロボットのように。シーンは終わった。「うーん。流れとビートはいいねえ。でももっ
と自然に。もう三回発表したから、再来週締めくくりもう一回に通そう。」第一シーンは
なんとかこなしたようだ。今思うとマルクス監督は一日に我々役者がどこまで吸収できる
かさえも理解しているようだった。

台詞が100%頭に入っていないとシーンの流れはスムーズでなくなる。スムーズのようでも
どこか流れがおかしかったりすると、必ずマルクスはテキストの早読みをさせる。する
と、シーンが急に自然に流れ出す。単純な指摘だが、それぞれの生徒に異なった誠実な忠
告をする。当然結果が良くない時もある。そういう時にはアプローチを変更する。マルク
スは考えていても黙る事はない。声を出しながら考え、彼の思考をフォローできる。だか
らこのクラスは監督業に興味のある生徒の参加者も少なくない。このクラスには学内に努
めている参加者は少なかった。一応参加資格の面談があり、選定された参加者ばかりだっ
たからか。若い頃監督希望だった新聞社で働くジャーナリスト等変わった人が多かった。

彼の授業を終了してからはボストンでは次のステップ・アップがない。終えたという満足感が
あったいい授業だった。次にははマーティンという仲間とカメラコースに挑戦をすること
にした。


クラスの参加者と打ち上げ。エリン、マーティン、後忘れた。