>
Homepage



ロカルノ映画際レポート

映画際に呼ばれたと言いたいところだが、残念ながら招待状はこなかった。それならば、自費
で行くかと僕は決心した。 自費ならば文句あるまいとプロデユーサーに電子メイルを出
すと、チケットを取ってくれると言ってくれた。問題はホテルだ。ホテルがない。電話し
ても取れない。そこでロカルノの湖の対岸に親の知人のピアニストが住んでいるのを思い
出した。

現地まで電車で7時間。プロデユーサーに合ってチケットを貰う。監督も来ているから、上映
後飲みに行こうという案が出た。ホテルを探したがやはりない。ピアッザグランデへ向う
が雨が降ってきた。豪雨の中体育館のような上映所に回されるが、そこは野外と違って、
たった3000人しか入れない。目の前でゲートが閉められた。途方に暮れるとはこうい
う状態だ。もっと小さな体育館のような所に回された。そこで大ホールで第一リールが撮
影終了するまで待たされた。撮影開始がそれで夜の10時半になった。映画を半分見た所
で外に出て山頂に住む仙人ごときピアニストに電話をする。係りのお姉さんが電話を貸し
てくれた。何回かけても応答がない。プープーという音がする。実は嵐で停電になったら
しいが、そんな事を僕は知る訳がない。急にもしかしたら駅に向いに来る話をしたのが気
になり、駅まで歩くが当然誰もいない。結局翌朝まで歩き続けた。嵐の後の透き通った空
を照らす満月の光景が美しかったと云えば確かにそうだが、かなり眠い散歩となった。ま
あ8月で暖かいのが救いだ。

翌朝早々もうロカルノはさんざんと速対岸に船で出た。ついてから電話をするが、どうしても
通じない。プープーという普通の通信音はするにもかかわらず。住所だけは持っていたの
で、それを頼りに山道を登る。いつまでたってもつかない。30分程歩くと今度は木が倒
れていた。何10本も。作業員が回っていけばいいと言って僕は倒れた電柱などを跨った
り、くぐったりして進だ。終ったと思ったら、また木がジャングルのように倒れていた。
30メートルぐらい倒れた木のジャングルは続き、ようやく抜けた。眠いので決行つら
い。15分すると要約シューマンのメロデイーが流れる家にた
どりついた。
仮眠を取らせてもらって、パスタをご馳走になり、CDをプレゼントしてもらい。ヘリコプ
ターでピアノを山頂の家に持ち運んだ話を聞いた。子供の頃彼の家族の家に遊びに行って
彼の子供たちと遊んだのを思い出した。

結局映画は半分しか見れず、監督とも会えず、何をしに行ったのかわらないロカルノだった。
と言う事でそのままその足でイタリアに行き、一週間ぐらいまわり戻りました。




homepage