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Herzschlag 2001年

「北の救助隊」というHusum という北の海辺の町の病院の話の撮影だ。イメルジェンシー・
ルーム以来世界中のテレビシリーズは医者物語を製作するようになった。それはドイツで
も例外ではない。しかし、何故場所の設定がこのHusum という小さな海辺の観光地に決
まったのかはわからない。確かに港はそこそこの規模でフェリー等も出ている。海辺も引
き潮の時には何キロも海が退くワット・ツアー等もある。潮が退いている時に海の底を散
策し、その自然と景色を楽しむというのである。ヘルゴーランドというノータックス無税
の島にも船が出ている。そこは昔第二次大戦にドイツが戦艦の拠点を作ろうとした島だ。
まあ、見所もなくはない所かもしれない。しかし、何故こんな小規模な町に病院の番組を
設定したのだろう。その理由はプロダクションにあるのかもしれない。ZDF は第二ドイ
ツ・チャンネルでドイツのNHK だ。わりと真面目な番組が多く、地方色や、人間味をエン
ターテインメントに出そうと努力している。RTLが(ドイツのTBS)メインな路線を全て
カバーしているので、この辺を攻めるといいという事になったのかもしれない。田舎もい
いが、フランクフルトからやたらと遠いのに閉口する。ハンブルグまではフライトだった
が、ハンブルグからRegionalbahn という鈍行に乗って2時間も延々と走る。ハンブルグ
市内の移動もあるので総合的には6時間近い旅になった。



この町に着いてからする事がないので散歩をし、町の港沿いの飲み屋でビールを飲んでから小
さなホテルに戻った。海の空気は気持ちがいいが、海は見えない。数キロは海まであるよ
うだ。ジョギングで海まで出られるらしい。空気があまりにも綺麗だと早朝に目が覚めて
しまう。そこで海までジョギングしてみる事にした。町の港からの運河を伝って走るが
中々海が見えない。運河の周りは緑が広がっているが、いるのは羊だけだ。これが結構、
舗装されたところをノンビリと構えていて、あの変な羊の目でこちらをジッと見つめなが
ら早朝グソ等をしているので邪魔な羊を避けた時に思わぬ物に踏み込まないようにかなり
気を配った。真っ直ぐな運河の先にわずかに海が見える。引き潮だ。往復するとかなりの
距離になった。



撮影は夕方から。つまり暇だった。本を暗いスタッフ待合室で読んだり、散歩をして過ごす。
夕方には皆で町から移動。僕は寿司屋の役でちらちらっとしか写らない。寿司屋の服は持
参、先日ダルムシュタットの知り合い田中寿司屋から借りてきた。

さて何故かその日は打ち上げだった。スタッフはこのHusumという村に何週間も滞在するの
で、半分の期間が過ぎると打ち上げをするらしい。夜の寿司パーティーシーンの撮影終了
後撮影用に出した机を利用して打ち上げが始まった。撮影に利用された寿司にイタリア系
の料理がケータリングから運ばれてきた。撮影が遅くなったので結局12時から2時頃ま
で飲むといったかなり眠い打ち上げになってしまった。

この番組のスタジオはフズムに近いハンブルグではなくベルリンにある。3週間後にはベルリ
ン・ポツダムのスタジオで病院内の撮影が行われた。フライト日は9月12日。昨日の今
日である。そう、あのニューヨーク911事件だ。便は朝6時半。何故こんなに早い便に乗
る事になったかというと、ベルリンの事務所のオヤジとついでに会おうという事になった
からだ。撮影は13日。エアポートバスの搭乗者の表情はやや緊張していた。自分の頭か
ら先日のテレビで繰り返されたシーンがまだ染み付いていた。新聞は事件の記事だらけ
で、それを片手にドイツの首都に向かって飛ぶのは、あまり気分のいいものではなかった。

シーンでは背広を着た寿司屋がパーティー料理を片言のドイツ語で提案する。このシーン、監
督さんや周りの人にも気に入って貰い、3、4回撮った。回数を撮るのはどちらかと言え
ば良くないのではと今まで思っていたが、つまり監督は結果に不満だから撮っているのだ
と思っていたが、どうやら監督という人間はシーンが面白いと思うと工夫したらもっと良
くなるのではと考える人種が多いいらしい。と勝手に自分の都合の良いように解釈してし
まったが、はてどうなのだろう。一緒にシーンをしていた役者はやや不満そうだった。
「もう監督は何してるのよ、こんなシーンにまるでメインショットみたいに時間をかけ
て。」という意見をのべた女優もいた。ゲスト出演の僕としては黙っていたが、僕のせい
ではない(?)のだから仕方がない。

役者にはジョークや話上手な人が多いいが、このチームは垢抜けた感じがあまりしなかった。
フズムという田舎で撮影しているせいか、そのイメージのためそういう役者を集めたのか
知らないが。それとも撮影スケジュールがきつくて疲れていたのだろうか。

ベルリンでの撮影が終了してから、Hacksche Markt というベルリン飲み屋街まで電車で行
き、その後ポッツダム広場へ歩く。東ベルリンの町並みは今でも好きだ。どこか、汚く、
建物も世界第二次大戦から破損したままの状態の建物が残っているからだ。最近はそうい
う建物も殆ど存在しないが、町の歴史を感じさせるいい町だ。この町の大学に行っていた
事があるが、良く夜勉強会の後一人でぶらぶらと何キロも歩いて寮に帰った。暗い夜空に
そびえ立つどんよりした石積みの建物は時という感覚を超えて他の時代に運んでくれる。
街角からドイツ軍隊が現れそうだ。するとパタパタと音を立てて青い煙をたてながら、東
ドイツの代表車トラバントが行く。運転手は若いデザイナーのような眼鏡をかけている。
東のフォルクスワーゲン・トラバントには今時変わり者しか運転していない。

短い撮影期間だったが、これも無事に終了。ベルリンという町を離れた。

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