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2005年 ダブリン

窓の外には緑の土地と海が広がる。遠くには雲が映る。もうすぐダブリ
ンに到着だ。ダブリン。高校生の時にサイクリングしに来たが、毎日雨
ばっかり降っていた記憶しかない。魚も釣れず、毎日ベークトビーンズ
缶詰を食べていた。殆ど栄養失調になったぐらいだ。そんな所に何故ま
た来たのだろう。。。

インターネットでみつけたサムライ撮影プロジェクト。去年にも似たよ
うな短編映画を撮影したため、今回はあまり気が乗らなかった。去年の
プロジェクトに参加した役者を紹介し、できるだけ僕は行かなくてすむ
ようにした。それに監督のマークは1月に撮影をするという。寒いし、
どうせ着物のような物を着て外で一日中撮影となるのは目に見えていた。
それにまだ脚本が出来ていないという。一ヶ月後に撮影するといのは本
当か?とにかくヨーロッパで日本風の時代劇を撮影するのははなはだ準
備が大変である。そんなわけで去年撮影したプロジェクトをダビングし
て送った。まあ、一応僕の演技を見て貰うのと、こんな凄いサムライ映
画がもう去年イギリスの大学生が撮影しまったのだよという合図である。

それを超えられる何かがあるか?

というわけで一月の一週間目も過ぎた。すると彼からまだ悪役が残って
いるというメイルが入った。そしてカメラマンにはジャッキー・チェン
の映画を撮影したことのあるプロが来るという。撮影は16ミリで白黒。
セットも全てシンプルに抑えていくという。脚本をその時始めて送って
きた。読むと以外にもまともな脚本で参加する事にした。

翌日マークから電話があった。主役の日本人が急に降りたという。今度
は主役探しだ。まいった。去年のサムライ映画のケンジは事情があって
来れないという。するとDJのキヨシ君が頭に浮かんだ。
どうせ暇であろうと僕は読んだ。合った事は一回しかないが、電話番号を
共通の知り合いから聞きだし即連絡をする。彼の写真を今度は監督のマー
クに送る。OKがくる。DJのキヨシ君は一回も演技の経験なし。それ
が主役である。主役は善人で比較的無表情なサムライなので比較的演技
が楽だ。僕は2面性のある悪役なので、これは役が小さくても、この役
がうまくこなせないと映画の意味がなくなる。しかしやや不安なのと紹
介した責任を感じて、キヨシ君と2回程フランクフルト大学の喫茶店で会い、
脚本を通した。 映画とは毎日がトラブルの連続だ。

しかし、撮影前からトラブルの連続というのも珍しい。というのは撮影
の一週間前に主役女優が下りたのだ。去年のプロジェクトの主役マサヨ
さんの電話番号を去年の監督ピーターから聞きだす。彼女はしかしいな
い。夜になってマークがやっと彼女に連絡が取れた。彼女も参加OK。

さて、それでアイルランド・ダブリンに向かう事になったのだ。マーク
と彼の父とマサヨさんが飛行場に向かえに着てくれた。キヨシ君が「ま
さか倉庫みたいな所に泊まらせられんじゃないかなあ。」とぼやいてい
たが、到着した家はマークの友人達が住む家。その家の中にマークの部
屋もあったが、それを僕らに貸してくれ、彼は実家に住んでいた。彼の
家で我々はリハーサルをした。僕が訳した脚本をもとにシーンを通した。


翌日の早朝マークは向かえに来た。日本庭園のあるキルデェアという所
に行き、そこで撮影を開始した。一日目はまあ何とか無難に終わった。
天気が悪く、冬なので寒いのは仕方がない。でも思っていたよりもマイ
ルドだ。「一日に四季。」というダブリン。たしかに雨がやんだり、降
ったり、風がでたり、変化する。しかし、翌日は雨ばかりだった。翌々
日も。

プロのカメラマン・マットは何故参加してくれたのだろう。マークは
16ミリカメラを借りようとし、16ミリカメラをネットで販売に出して
いたマットに連絡し、ついでに自分の脚本も送った。するとマットが
「俺が撮影するよ。」と申し出たらしい。セットはシンプルだが、白黒
撮影なので、モニターで見たところ美しかった。

トラブルの多いい撮影だったが、無事に終了。最終日には皆飲んで暴れ
た。ザンジバーというクラブで飲み、またほかの店に行って帰ったのは
3時ごろだった。

結局参加して本当に良かったプロジェクトだった。アイルランドの英語は
最後までよくわからなかったが。 マークは書き忘れましたが、大学で
映画科を専攻していました。







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