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La Cuisine Chinois 学生プロジェクトに初挑戦 2001年 

インターネットで大学プロジェクトのコックの役を見つけた。学生プロジェクトではお金も出ないが、彼らがどのように行動しているかに興味があった。学生と仕事をする事により、また違う面も見えてくるかもしれない。キャスティングは撮影の2か月前に行われたが、その時は電車が故障し、一時間で着くはずのウィースバーデンまで3時間以上かかった。ドイツの鉄道もコストダウン化の嵐でトラブルが多いい。 

スクリプトが手に入ったのは撮影の4週間前。理論的に筋は通っているが、どうも対話にかける。撮影の3日前には新しいバージョンが届く。かなり異なった内容の物だ。せっかく今まで覚えたのがだいなしだ。ぶつぶつと文句を言いながら台詞を暗記する。これがまたリズムのない台詞で恐ろしく覚えにくい。だんだん腹がたってくる。だいたい三日前に一体ここまで変更をしなくてもいいのにと思う。それに長い。恐らくこのシーンは14分ぐらいの設定なのだろう。14分持たせる程の内容は到底ない。まいった。なんでこんなプロジェクトに参加する事にしたのだろうか。

6月12当日は朝5時に起き、朝5時半に自転車で駅に向かう。畑の上に朝もやが掛かり朝日が軟らかく振りそそぐ。気持ちが良い。電車でWiesbaden にあるメディア大学へと向かう。Wiesbaden の駅からバスに乗り丘の上にある大学に8時前には付いた。スタッフの学生はホール前で待っていた。彼らに導かれてスタジオに入ると以外や以外、かなりプロフェショナルなセットが用意されていた。まあ、大学だから機材は揃っている。課題としては料理番組の製作で僕がコックでトルベンという男が番組のアナウンサーの役だ。

学生はほとんどが21才プラスアルファであるが、プロデューサーを担当するミハエルは前に経営の専門学校を卒業していて、職歴も持った20後半だった。我々の監督であるヘンリエットは若い金髪の女の子で青い目で我々を見つめながら、細かい指示を出す。料理の手順をおそわり、リハに入る。まだ実際にクッキングはしない。午前中のミーティングで僕は台詞のカットを彼女に求めたが、一掃されてしまった。台詞はスムーズに出てこない。トルベンも困っていた。監督以外の周りはそれに気づいたが、長さに対しての変更はない。

トルベンはノッポなベナリアンだ。ベナリアンとはベジェタリアンより一歩進んだ形で動物生蛋白質を一切取らない。牛乳、チーズも食べないで、蜂蜜さえ食べないらしい。彼はそのせいか、休憩に入る度に穀物系の物を食べていた。肉程腹もちが良くないためか。彼は演技の経験はないが、食に関しての興味が深く、専門学校以来ミハエルとの知合いだという事だ。何時どのタイミングにどのカメラに覗く等の忠告に彼はとまどい、彼の頭は真っ赤に血走っていた。目の下の皮膚が小刻みに痙攣を起こしている。ヘンリエットはこうしろ、ああしろと指導がこまかい。監督の経験がないためか、どこまで役者が飲み込めるかどうか全く検討がつかないらしい。さらに、何がシーンにとって重要かどうか理解していない。次はわざとテンポを落として通すよと僕は忠告する。台詞と手順を確認するためだ。そうしないと必ず後でテンポが遅いと彼女に忠告されるからだ。スタッフがしわくちゃなテキストを見て言った。「これ覚えられなくてクチャクチャにしたんじゃない?」テキストを書いた彼は言った。彼も少しは責任を感じているらしい。そこで要約テキストを大きくカットする事になった。彼らもシーンが長すぎる事にやっと気づいたようだ。

ドイツにはブロンド・ジョークが多いい。「天国の門の前に5000人のブロンドが立っていた。いったいなんだろう。史上最大の回収プロジェクトだ。」等。ブロンドがブロンドとは限らない。ドイツでは7人のブロンド中6人は髪の色を染めているという。また逆もいる。会社のマネージャー等はブロンドを茶色にしたりする事もあるという。こういう話がふとこの撮影の時に頭に浮かんだ。しかし、何故あの未経験の彼女が監督の席を得られたんだ?しっかりしているようで、ミハエルもただ単に彼女の押しにながされたのではないか?脚本が面白くないと勝手な回想が止まらない。まあ、最初から料理番組という設定だから仕方がないが。

カフェテリアで昼食を取ってから、スタジオに戻って実際にクッキングをしながら、カメラを作動させた。しかし、どうもシーンは進まない。とにかく、台詞が良くない。長い休憩を入れる。疲れきった我々をミハエルは散歩に誘った。3人でタウナスの森を散歩し撮影の話や仕事の話をする。すると少し気が晴れてきた。その後、カットされた台詞と向かい、トルベンと僕の息も合ってきた。しかし、笑みを浮かべる余裕は出てこない。

明日の本番の前にもう一回撮るか?とのミハエルの質問には、これだけすれば、明日は必ずうまく撮れるとの言葉を残して僕は帰った。ヘンリエットの肩に両手を載せて、君の奴隷扱いには参ったよと言うと、彼女とトレベンは笑った。一日中漂っていた緊張感が消えた。

翌日は撮影開始から順調だった。軽い雰囲気で仕事ができた。一晩台詞も寝かすと体に染みる。トルベンと回数をこなす度にしあがりが良くなった。ヘンリエットに「プロの監督はそこまで細かく注意しないよ。」等という皮肉のような忠告も言えるような感じになってきた。彼女も我々の成果にほっとしていたらしく、こっちが何を言おうとにこやかだった。結局やってきて良かったと感じたのは午後に撮影を終了した時だった。昼食の後にお礼として買い物件を彼らから貰って皆と挨拶をしてから僕はフランクフルトへ向かった。

フランクフルトでは英語で映画を流している映画館があった(ドイツはほとんどが吹き替えされている)。そこでベルリン映画祭で入賞した作品を見る。映画が始まった時には5人程いたが、終りには僕一人しかいなかった。皆最初の頃に出てしまったらしい、確かにペースが鈍く映像も一般向けとは言えなかったかもしれない。

6時に友達と合ってマウンテンバイクでフランケンシュタイン城を上り詰める。晴天でタウナスまで見渡せる。緑の中に広がる町並、西にライン川に太陽が反射しているのも見える。木影の中を走り自然との対話を楽しむ。高校時代に来て以来だ。下りではアドレナリンが体をつきぬける、砂利道を猛スピードでヘニングが降るのを必至で追う。ビリビリと振動が腕に伝わる。快感と恐怖が交互に入れかわる。撮影の達成感もあった。

しかし、今度いったい何時になったら金の入るプロジェクトが来るんだろう。トホホ。作品は料理番組を撮るという設定だったので、特に面白い物でもない。ただ、素人とプロにどれだけの差があるかを痛く実感したプロジェクトだった。もっとも彼らはメディア大学の学生であったため、映画大学の学生のような専門知識を持っていなかったからかもしれない。メディア大学の学生は主にコンピューターグラフィック等の分野とメディア経営に強い事が多いい。さて、次期学生プロジェクトはどうなる事やら。

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