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カフェ・マインアイド

老いた修道女が医薬法を犯し、裁判に掛けられる。彼女は過去30年間修道院で育てた薬草で医薬品を製造し、近所の養老院で使用していたら、それを告発されるたという事件。原因は同じ養老院で働くやきもち焼きの新しい看護婦と彼女の薬屋の友人。このような裁判の流れを人々の感情とバアヴァリア地方の色をうまく生かして25分という短いシリーズにまとめられたのがカフェ・マインアイドというテレビシリーズだ。日本語に訳すと「カフェ・私の誓い」というタイトルだ。裁判室の隣にその名のカフェがある。

この番組から誘いを受けたのは電子メイルを通してだった。バヴァリアの監督助手が僕を直接インターネットで見つけてくれたのだった。デモテープの配送、ミュンヘンでの打ち合わせが続いた。今まではシーンについて前もって打ち合わせをする事はなかったが、今回はこの番組の中心となる証言をしなくてはいけなかったので、打ち合わせを要請されたらしい。僕の役は日本の防衛大を卒業してからドイツの防衛大で医学を専攻している学生。彼は日本人観光客のガイドのアルバイトをしている。ある日本人グループをイギリス公園に連れて行き、そこで事件の証人になる。連れて行った観光客は2番目に並ぶ馬車に乗り込む。そこで1番目の馬車に乗るオヤジと2番目の馬車に乗る若い女と喧嘩になる。「客の横取りをそう簡単に許すわけにはいかんわー。」

バイヤルンなまりそのままである。何回読んでも難解な脚本だ。バイヤルンなまり、バヴァリア州のなまりは日本の関西弁と比較できるのではないか。バイヤルンの方言を話す者は関西人同様方言を直さない人が多いい。なにせ Freistaat Bayern 自由国バイヤルンを名乗り、昔からプロイセンのアンチポールだった。だからこの番組も関西の番組同様、方言もろだしなのだ。バイヤルンで人気の高い政治家は伝統的に首相になりにくい。昔のシュトラウスに今のシュトイバーにしろ伝統と地元の匂いが強すぎてドイツ全土では敬遠される傾向がある。ビアガーデンの発祥地かどうかしらないが、打ち合わせで10月にミュンヘンに行った時にビアガーデンに寄ったが、地元の民衆があの伝統あるトラハテンを着てビールを飲むざまは物凄かった。南ドイツのパワーを見せ付けられた感じがした。しかし、ビアガーデンのビールは何故かうまい。とにかくおいしいのだ。6時前に行ったが、もう満席。会社の人たちと合同ででかける時等は日本のお花見如く、昼から席取り役が会社を早退するらしい。予約席は何ヶ月も前から一杯だという。

人情深いというか、田舎っぽいというか、親切というか、北のドイツ人とは一味異なった文化を持っている。そして外者には完全に入り込むには難しいとも言われている。そんなバイヤルンであるが、やはりミュンヘンは昔からの大都市。確かにパリ、ロンドンではないが、それに近いウェイトを持っている。また、町の真ん中を流れるイザー川がいい。ゆっくりと流れる大都市のどんよりした川とは一味違って、どことなく山を流れる荒々しさと速さを持っている。だからカヌーに乗ったり、中にはサーフボードで川の流れと戦う者もいる。天気がいいとアルプス山脈が見える。スキー場までもわずか一時間で行ける。

撮影の前日に僕はセットに寄った。するといきなりセット担当のおばさんに捕まり、僕の証言シーンに使用する絵の手順を教わった。証言をしながら、同時に起きた事件を絵に描かなくてはいけない。それも出来るだけ、戦争の作戦図のように描いて欲しいという要請だった。このイングリッドという細い、エネルギッシュな金髪のおばさんは、いきなり皆が一服している廊下の壁に紙を貼り付け練習するように僕に命令した。うーむ。見知らぬ人々の前でいきなり、シーンの練習か?それもこんな場所で?このイングリットというおばさんはまるで学校の先生で、厳しい目つきで僕の描く絵と台詞を追った。さて、8回ぐらい練習をさせられたか、その後要約開放されたが、イングリットは紙を10枚近く、サインペンと共に僕に丸めて渡した。「ホテルに戻ってもする事ないでしょ。練習しなさい。」と。

ホテルは撮影所から徒歩15分。何もない所だ。街中から空港方面に行って30分ぐらいの所にある。Pro7, バヴァリア、キルヒのテレビ映画関連の事務所、スタジオ等が並ぶUnterfoehring/Ismaning の周りには何もない。一人で渋々散歩し、村にあるレストラン全部をチェックした後、普通のドイツの飯屋に入って、ウィナー・シュニッツェルとワイセ(ビール)を頼んだ。サラダ付きのトンカツにフライド・ポテトというもっともオーソドックスな料理だ。ワイセは必ず500mlのグラスに入ってくる。飲みでがあるし、ビールよりややアルコール度が低いし、喉の渇きにも効く。一杯だけにした。まだホテルで、シーンの練習が待っていた。ホテルは4つ星だが、僕の部屋はシンプルなシングルベッドが入った、風呂なし、シャワー付きの部屋だ。床に紙を広げて承認図を描きながら、台詞を繰り返す。10枚も紙を貰ったが、3回目でいやになり、テレビを付けた。

裁判館を担当する役者エリヒ、監督と翌日8時にスタジオに集まった。端が少し膨らんだ廊下の端に小さなバーがあってコーヒーの匂いが漂う。僕はホテルでシャワーを浴びてゆっくりとパン3個とハム、チーズ、ヨーグルト、紅茶2杯、オレンジュース3杯の朝食を取り、さらに二回も部屋で作戦図を描いて準備万端だった。そうだ。僕は朝食が好きなのだ。これをしっかり食べないと一日が始まらない。スキー場で民宿に泊まると、朝から3膳以上飯を食べないとピストに出れない。待合室ではただのんびりしていた。助監督によると僕の出番は当分ないらしい。いつもの事であるが、とりあえず早く来て貰いたかったという事だ。コーヒーを飲み直してから衣装に着替える。化粧室には裁判館と検察官の役者ノルバートがメークを施されていた。僕はノンビリと待つ。この撮影前のノンビリとはノンビリしているようで落ち着かない。今回の台詞は長く、このシリーズの内容的、かつコメディー的中心に立つシーンであるからだ。他に秘書役のおばさんテクラ、裁判館の女の研修生、馬車を率いる被告人の女と馬車を率いる告訴したおじさんの役者さん達がいた。皆イソイソとセットの方に向かった。セットは待合室と化した廊下の端から直ぐに入れる。重い鉄の戸がスタジオの入り口だ、ライトは録画中と赤く点滅している。そこに僕が先日描いた証人の説明図がまだぶら下がっている。「馬車1から男降りる。馬車2の女性を怒鳴りつける。」とぶつぶつ僕はまた台詞を繰り返す。スタジオの中を覗くと皆もう撮影の用意を始めている。告訴の理由、裁判での形式的な情景の準備だ。

フランツ・ボグナー監督は実際にあった裁判のケースをもとにフィクションを描いている。この番組は12年前にスタートし、未だに好評を得ていて続いている。監督は脚本も自分で手がけ、バイヤルンの地方とその人間の特徴を微妙に描いた、人情と裁判に挟まれた人々の表情をうまく描いたシリーズだ。ドイツのメディア都市ミュンヘンでも名の通った監督らしい。この番組、実はバイヤルン放送だけで放映される30分番組なので見たことがなかったが、撮影前の3週間そのキャラクターの良さに弾かれて毎週見る事になった。ドイツでは最近裁判の番組が多いいが、殆どはユーモアのない実際にあった例をそのまま1対1で番組にした安上がりの裁判番組しかない。このカフェー・マインアイドはジレンマに置かれた裁判館、困った検察、彼らとは異なった意見を持つ秘書など人々の感情が入り乱れ、法のギリギリの線の中で物事を解決したり、結局裁判室で和解したり、喧嘩別れしたりする。

僕はグスタフ・フラウバートの本をセットに持ってきていたが、読んでも頭に入らない。本当は日本の漫画を持ってこようと思ったが、頭の中でドイツ語と日本語が入り乱れるとまた台詞でこんがらかる恐れがあったので辞めた。スタジオを覗く。馬車のおじさんは言う。「ワシの馬車が一番前におったんじゃ。順番をまもらなーあかんど。だいたい最近の若もんは礼儀をしらんのや。それにじゃのう、日本の女性は一台の馬車に7人も入りよるんや。これは経営上最悪やで。いや、日本の女性が気に入らないという訳ではないんや。親切で礼儀正しいんで、ほんまにこの女とはくらべ者にならんよ。この女が我々の馬車会社に入るまでは良かったんじゃよ。ほんまに。和気藹々となあ。」と話すが、このおじさん役者テキストをよく間違える。繰り返しが多く僕の待ち時間は伸びる。「職場に女性は職場に花を持たせていいではないですか、今ではどの分野にでも進出し活躍しているではないですか。」と裁判館は答え、後方に座っている女性の研修生の好意を得ようとする。

「ビアガーデンに私は日本の女子学生7人と現れます。イギリス庭園に道路、馬車1、男1、馬車2、女、馬車3、男2。。。」とリハーサルを一回した。そして撮影。「男1は女の髪を引っ張り、地本の言葉で何かを叫ぶ。私は何を言っているかわかりませんでした。女は屈み、道路に散らばる馬糞を手に取ります。道路中馬糞で一杯です。この馬糞を馬車1男1、と馬車2男2に投げつけます。これにビアガーデンの人々が喜び、叫び、拍手喝さいが起こります。」という参事に対しての証言だ。裁判の証言シーンで一番好きなのはケビン・コスナーがJFKで最後に長い証言をする所だ。ケビン・コスナーの演ずる刑事はFBI 、CIA などのしがらみに負けず、真実を追究する。身の上の危険を覚悟しながら、彼自身が見た真実をそのまま法廷で堂々と述べる。役者としてチャレンジングだ。これは完全なモノログで直接的な相手の役者の反応がない所で、いかに一人で台詞と向かい合うかが勝負だ。これは空手だと本人と一枚の瓦だったりするのかもしれない。真剣勝負だ。僕の役は日本の防大を卒業したブンデスウェアの医学生という事で、軍人のようにハキハキと話さなくてはいけない。それに日本語のニュアンスを入れる。同時に絵を描き時々証人や裁判館に目を向けなくてはいけない。しかし証言は結構長い。台本で1ページ以上ある。そして説明をする。女が逆上し、馬糞を馬車の男に実際に投げたかどうかという証言を惜しまず述べる、堂々たるシーンだ。馬糞が糞か、それとも馬糞は糞のうちに入らないという論争が起こるが、それに巻き込まれたりはしない、自分の証言だけをありのままに述べる有志を見せれる。ケベン・コスナーであろうが、まあ僕の場合せいぜい快便・コスナーかもしれないが、このチャレンジングな台詞を間違いなしで通すのは難しかった。どうしてもどこかで崩れてしまう。何かの拍子で崩れだす。脱線はそれでも一回だけで、そこから撮りなおした。しまったと思ったが、何故か終わって見ると皆満足そうに笑っていた。ほっとする。監督から「Sehr Gut」と励まされる。残りは同じシーンの繰り返しでカメラを逆に設定し、相手の表情を捉えるだけである。

昼食の時間だ。食堂はスタジオ内。セットとして使用されているカフェのテーブルを使用する。豚のひれ肉のオーブン焼きにクニョーデル、ジャガイモをつぶして丸く蒸した物だ、それに赤キャベツさらだとグリーンサラダ。典型的なドイツ料理だがうまい。スタッフと役者さんたちと一休み。押し寄せる昼食後に対してコーヒーを流し込む。馬車に乗る女の名前はドリーン、裁判館の助手の女子はサラー。ドリーンとはかなりアングロサックソン系の名前だが、なんと彼女はザクセン、つまり東ドイツ出身だった。サラーはオーストリア。彼女達もこの番組には初めて出演したという。

撮影終了後彼女達と市内へタクシーで向かいステーキ屋へ行った。ドイツ人はあまり撮影後に群がって飲みに行く事がない。そうだ、考えて見れば、初めてだ。打ち上げを除くと。イギリスの日本人役者さん達と会った時は飲みに行ったし、アメリカ、イギリス役者さん達とものみに行ったが、ドイツ人とはもっとも仕事の回数が多いいのに撮影後に「じゃあ飯でも」という事はなかった。プライベートと仕事をキッチリと区切ると言うのはドイツの役者さんの世界でも常識らしい。これは発見かもしれない。サラーとドリーンはあっけらかんとしていて僕をさておき話す二人だった。ミュンヘンの生活、彼氏、仕事、一時間半は話まくっていた。ルッスン、つまりロシア人というワイセとレモネードを混ぜた飲み物、ややビールとレモネードのミックスドリンク、ラードラーに似ている、が回りだした頃、サラーは音声録音のミーティングがあり、ドリーンは謎のアポイントメントで消えた。時間は8時。ミュンヘンの街中を1時間半ほど歩き回った。街角でメッツォソプラノで歌いリュートで自分で伴奏する歌手がいて、人だかりになっていた。そこに足を10分ほど留めた。それから30程郊外にあるホテルに戻った。

二日目の昼食はなんだったかなー。えーと。ブロッコリー、ミニキャベツ、ソーセージ、ザウアークラウトにジャガイモのピュレー、つぶしてクリーム状に近い感じの物。二日目となると大分スタッフに慣れる。ゲスト出演同士で固まってならなくても、少しは彼らの会話にもついて行ける。噂話に耳を傾けたり、朝にスピード違反で30キロオーバーで写真のフラッシュを確認し、頭をぐったり下げていた馬車のオヤジをしている役者ヨゼフを皆で慰めたり(恐らく免停一ヶ月)、また同じ場所でスタジオのスタッフが他に二人写真を撮られブツブツ言っていた、ただし15キロオーバーで。彼らもハッピーな表情はしていなかった。 しかし、お菓子屋出身という秘書役で出ていたおばさんはチーズケーキ、リンゴケーキ、ワインケーキを持ってきてくれた。このワインケーキは非常に美味しかった。ミュンヘン近郊で最も大きく有名なお菓子屋の娘なんだと、役者ヨゼフが説明してくれた。ミュンヘンの役者の輪では皆互いを知っているようだ。監督と主役の裁判館はよくステージや映画の話をしていたので、僕は耳を傾けた。昼食後殆どの役者は仕事が終了。皆と挨拶してホテルに戻り昼寝をした。

翌日は新しいピナコテーク美術館に寄ってから帰った。


セット兼食堂の「カフェ・私の誓い」


監督が一服


検察官と馬車の男


裁判館と秘書


馬糞を投げたという女の馬車氏。


僕はノンキにセットで写真を撮ってるが、いいのかなあ?





これぞミュンヘンのビアガーデンだ。打ち合わせの後に寄った。何時出たか覚えていない?


ビールの受け皿。「カフェ・マインアイド」店専門。これはセットから盗んだのではなく、プロダクションの人が僕の代わりに取って来てくれた物。彼女の素早い手つきがちょっと怪しかったけど。